物心がつくとは、いつ頃からか。
それまでの年月が無邪気と言われる期間か。
だとすれば、おおよその人間が物心つく6歳前後に
邪気と接する訳か。
私個人としては、邪気との遭遇はもっと古かった。
邪気とともに産まれてきたのかな?って悩んだ時期もある。
今、子といて、そのあまりの無邪気さに胸を打たれる。
妻から喜びを教えられたが、子から教わったものは
純粋、無垢な魂の輝きである。
私と子の間にあるものではなく
子そのものの存在が私にとっては感動なのである。
今日、ふと思ったのだ。
前をゆく老人を見て
私の子もいずれあのように老いるのか、と。
そして次の瞬間にその時自分はもういないんだと
そう、思ったとたんに、なんだかとても悲しくなった。
今までに感じたことのない寂しさだった。
しかし、それは当たり前のことなのだ。
まず、私達夫婦から老いるのだ。
そして子の時代がやってくる。
かけがえのない瞬間は矢のように過ぎてしまう。
愛おしい昼下がりというものは気がつくと
夕方になってしまうのである。
それは当たり前のことなのだ。
そういった、純粋なこと。
時は過ぎるのだと言うことを
私は子から学ぶのである。
どんなに高画質な画像で、その瞬間を保存した所で
それは全く別のものなのだ。
いくらでも再生可能なものに命はない。
そう、思うのである。