団子っ鼻といわれながらも44年に亘って働き続けてきた0系新幹線がいよいよ引退となってわれわれの目の前から消えることになった。思えば当時1964年と言えば東京オリンピック開催の年で開通はオリンピック開催の10日前であった、WAKIは丁度伊東で会議があってその帰り熱海からの乗車が運良く開通2日目であった。それから数年後は新幹線にはたびたびお世話になった、WAKIの家は新大阪に比較的近いだろうということから東京での会議は頼むと言われWAKIは毎月の業界での技術委員会にメンバーとして出席した、毎月1~2度は小1時間掛かって新大阪に車で出掛け、駅前の駐車場に車を預け、そうして6時始発の新幹線に乗車、車中で続きの眠りをして、会場の渋谷に着くと10時半、会議はWAKIの到着に合わして始めて呉れた、午後の会議は3時過ぎまでだが時には付き合いもある。最終は東京駅を8時20分に乗れば家には日付は変わるが何とか帰れた。そして翌日は定時出勤だ、若いから出来たものの懐かしい思い出だ。あるときは台風接近で途中運転打ち切りになったり、オウム真理教の麻原彰晃が逮捕されたときは実況を聞きながら富士山を見ていたことなど想い出が尽きない。
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当時の日本は国力があったのだろう.今は,その頃に比べるとなんとなく落ち込んでいる感じだ.不況台風に見舞われているが,いつになったら再び太陽の輝く日が来るのだろうか.ともあれ,素晴らしい「団子っ鼻」だった.これらの車両は発展途上国で余生を送るのかな??
それにしても日本の鉄道技術のレベルの高さと運転ダイアの正確さは世界中に誇れるもの。出張たんびにいつも思い知らされて来た。
しかしヨーロッパの高原鉄道が今も大事に運行されているとTV放映されていた。どっちがどうなんだろう???
快晴の紺碧に白い枇杷の花が映えている。