練習太郎の「自転車の輪」

雨ニモマケズ風ニモマケズ
ただひたすらゴールをめざす

自叙伝 中年ロードレーサー
  夢に向かって「日々努力」

心の旅

2007-03-10 20:48:06 | Weblog
地雷の爆発が止まらない。
歩いてきた道を恐る恐る振り返ると、実は自分で地雷をまき散らしていたようだ。
それが誘発してドカーンドカーン・・・
いまだ収拾がつかない。

そんな苦悩の中、いつも心の隅で「休日に青空の下、楽しく走る」自分をイメージし精神的安定を図っていた。

やっとの休日、それもいい天気。ちょっと二日酔いだったが出発した。
昨日、第3ステップくらいあるバクダン処理の第1ステップが終わり会社の友人と「ぼやき&焼肉」を食ってきたのだ。

走り始めて練習コースというか今日のコースがひらめいた。
母校めぐり。

城陽から木津川サイクリング道で八幡にでて、樟葉、牧野を走る。
新潟から大阪枚方に引っ越してきたのが小学6年生の夏休みだった。

こんにちは、こんにちは世界の国から♪
三波春夫が笑顔で歌う大阪万国博覧会が開かれた年。

くずはモールができたのはそのあとだったかなあ?
牧野、中学生の頃に東洋一の流れるプールがあった。
当時のアイドル「麻丘めぐみ」が来た様な記憶がある。

御殿山を越えて枚方市。ここに母校の高校がある。
久しぶりの訪問。
ハンドボールコートを遠くから眺めると8名のクラブ員がダラダラと柔軟を始めていた。
そこに教員が登場し場が引き締まる。

三歩ダッシュ、クロスステップ、ストップ&ダッシュのフットワーク練習。
先生の力強いホイッスルがグランドに響き30年前にタイムスリップさせてくれる。
それもそのはずで教官は自分の5年先輩で当時しごかれた事が走馬灯のようによみがえる。

30分くらい遠くから見て帰りにコートに行ってご挨拶。
5分ほどの立ち話だったが先生も自分のシアワセなひと時だった。
帰り道、目頭がちょっと潤む。

そこから昔すんでいた光善寺の界隈をウロウロした。懐かしい友達の家もあった。
当時広いと感じた道、遠いと感じた友達の家も35年ぶりに行くと小さな小さな町だった。
1学期だけお世話になった小学校にいこうと思ったが曲がるところがわからず通過。
古い小学校で当時で100年近くたっていたような気がする。
先輩には。「てなもんや三度笠」のスーパーヒーロー藤田まことがいる。
通学路を走りいろいろ思い出す。
集団下校のときは吉本新喜劇の「淀川吾郎」のまねをしてみんなで首をフリフリしてかえったもんだ。

次に香里園に向かう。昔々は芦屋にならぶ高級住宅地だった。
そのせいか公立中学校だったが1年生の時のクラスに帰国子女が3人いた。

大好きな女の子もできた。初恋だったかも・・・・
彼女の家にはプールがあった。
かすかに何軒か当時の面影を残す豪邸があったがごちゃごちゃした大阪の町になっていた。
卒業後初めて中学校のグランドに立つ。ドラマの主人公になったみたいな気分。

そこから交野の高校時代の友人宅に電撃訪問。
30年前に一度行った事がある記憶を頼りに探す。
さすが交野、人が親切。15人くらいに聞きながらたどり着いたがみんなとても親切で恐縮した。
あいにく本人は不在だったが離れのお母さんが出てきて昔話をして帰ってきた。

50キロほどの練習にならない練習だったが、心のケア、元気の源をいただいたとても素敵な練習でした。

振り返って見た私の道にはきれいな花が咲いていました。
コメント (4)
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