気まぐれフォトダイアリー

富士山、風景、身近な花の写真ブログです。読んだ本の感想も載せています。
最近は回想ブログが多くなりました。

天目山 栖雲寺(せいうんじ)~甲州市①(回想)

2021年08月08日 13時07分06秒 | 名所・史跡


2010年7月24日 景徳院から栖雲寺に行きました。

私はここのお寺は初めて来ました。

やはり武田家にゆかりのお寺だそうです。

ここから登って行ってみます。


栖雲寺 甲州市大和町木賊


天目山 栖雲寺地図





すごい急な石段です。

この石段を登らなくても、横の駐車場からだとなだらかな坂道で登れます。

私は初めてなので、正面から入ってみました。





石段を登ると正面に本堂がありました。




↑クリックで拡大します。

栖雲寺の説明です。





本堂の中の様子です。





蕎麦切発祥の地とありました。




銅鐘です。




↑クリックで拡大します。

庭園の説明と地図がありました。





300円入れて、庭園に入ってみます。





ここから入ります。




百字石です。




山の斜面が庭園になっています。





ここにもヤマユリが咲き始めていました。





天目山 栖雲寺(せいうんじ)②に続きます。

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史跡 土屋惣蔵片手切り(回想)

2021年08月07日 10時39分21秒 | 名所・史跡


↑クリックで拡大します。

2010年7月24日 景徳院から少し車で登ると、道の左側に「土屋惣蔵片手切り」の遺跡がありました。


土屋惣蔵(ウィキペディア)









説明文を拡大しました。





大正3年はまだこんな道だったんですね。

今は想像も出来ません。

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景徳院のヤマユリ②(回想)

2021年08月05日 22時10分01秒 | 名所・史跡


甲将殿です。

ここにもヤマユリが咲いていました。








ここは本堂に行く道です。

紫陽花とヤマユリが咲いていました。


今はほぼ正午です。

暑い盛りなので紫陽花がぐったりしていますが、もっと早い時間だと綺麗だったかも知れません。





こんなにたくさんのヤマユリに会えてとてもうれしいです。

どうか毎年咲いていて欲しいと思います。





紫陽花です。

綺麗ですね~!





境内に来ました。

水の中にヤマユリと紫陽花が生けてありました。

ヤマユリは暑さで少し萎れていましたが、風流ですね。




↑クリックで拡大します。

本堂です。





たくさん写真を撮ったヤマユリです。

見てください。

綺麗ですよね~!




↑クリックで拡大します。




勝頼公辞世の句です。




北条夫人辞世の句です。





↑クリックで拡大します。

ここには勝頼夫人辞世とあります。





↑クリックで拡大します。

没頭地蔵尊です。




没頭地蔵尊の側にもヤマユリが咲いていました。





景徳院に咲いていたヤマユリは、武田の悲しい歴史を物語ってでもいるように思えました・・・


これで「景徳院のヤマユリ」は終わります。

ご覧いただきありがとうございました。

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景徳院のヤマユリ①(回想)

2021年08月03日 21時46分42秒 | 名所・史跡


↑クリックで拡大します。

2010年7月24日(土)

甲州市大和町田野の「景徳院」の山門とヤマユリです。


去年から見たいと思っていたヤマユリですが、去年はもう咲き終わった後でした。

今年はいつ咲くのか気になっていましたが、ちょうど満開に近い状態で咲いていました。

ヤマユリを見た時は、本当にうれしくなりました!


景徳院(ウィキペディア)の説明


景徳院地図








ここから登って行きます。

天童山と書かれています。





↑クリックで拡大します。


紫陽花がまだ咲いていました。

とても綺麗です。

けれど、ヤマユリは?

あっ!紫陽花の中に咲いていました。





紫陽花の中に咲いているヤマユリを見つけた時はうれしかったですね~!





紫陽花も暑さで少しぐったりしているようでしたが、まだまだ綺麗に咲いていました。




山門とヤマユリです。


境内に入ったとたんどこからともなくユリの香りが漂って来ました。

境内に何本も咲いていたからです。

それは素敵でしたよ。

うれしい事に、誰もいませんでした。

しばらくの間とても幸せな気分になれました。


けれどそのうちに、何人か家族連れの方がユリを見に来たようです。





私はヤマユリを何年振りかで見たような気がします。

子供の頃は、ちょっと山の方に行くと、土手に咲いていました。


それがいつの間にか見えなくなりました。

どうしたんでしょうね~?

ヤマユリは大月市の花にもなっています。

それだけ昔は咲いていたという事だと思いますが・・・

香りがとてもいいんですよね。


でもうっかりすると花粉が着いて、落ちなくなります。

この日も服に花粉が着いてしまいました。





綺麗ですね~!

園芸用のユリも綺麗ですが、ヤマユリの花はまた違いますね~!

自然の美しさがあると思います。





↑クリックで拡大します。


武田勝頼と北条夫人と嫡男武田信勝のお墓です。

真中が武田勝頼(37歳)、右が北条夫人(19歳)、左が信勝(16歳)のお墓だそうです。


お墓の後ろにもヤマユリが咲いていました。


武田信玄が没して10年で、武田が滅びる事になりました。

戦国時代は怖いですね~!


ここに来ていつも思うことですが、北条夫人は19歳、嫡男信勝は16歳で自害したのだそうです。

何と表現していいのか言葉が見つかりません・・・






↑クリックで拡大します。


「武田勝頼の墓」の説明がありました。




↑クリックで拡大します。


上の説明文の一部を拡大しました。





↑クリックで拡大します。





甲将殿です。

勝頼のお墓はこの建物の後ろに祀られていました。





景徳院のヤマユリ②に続きます。

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鶯宿峠(おうじゅくとうげ)のなんじゃもんじゃの木(回想)

2021年06月08日 17時24分49秒 | 名所・史跡
旧芦川村の鶯宿峠(おうじゅくとうげ)のなんじゃもんじゃの木は何年か前の新聞に、枯れたので木を切ったと載っていました。

古木になっていたのだと思いますが、残念です。

この木を撮影したことがあるので載せておきたいと思います。








↑クリックで拡大します。

2006年7月10日 旧芦川村の鶯宿峠(おうじゅくとうげ)にある「なんじゃもんじゃの木」を見て来ました。

鶯宿峠の「なんじゃもんじゃの木」には前からとても興味があったからです。


本当はこの日は滝戸山に登る予定で出かけました。

ところが登山口から登り始めましたが、登山道に木がおおいかぶさりすぎて登るのをあきらめました。

仕方なく、降りてから見ようと思っていた「なんじゃもんじゃの木」を見る事になりました。


鶯宿峠地図





この標識のすぐ側に「なんじゃもんじゃの木」はありました。



写真で側溝にふたが見えていますが、手前はふたがありませんでした。

実はその側溝に、この時車の片輪を落としてしまいました。

脱輪です。

この時は本当に焦りました。

この峠は林道を車でもかなり登った所にあります。

夫と一緒でしたが、一体どうすればいいのか一瞬パニックになりそうでしたが、夫が丸太を拾って来て、何とか側溝から抜け出せました。

山の中で脱輪は本当に困りますよね。

今見ると草が茂っていて、側溝がよく見えませんね・・・

皆さんも側溝にはくれぐれもお気をつけてください。





↑クリックで拡大します。


説明がありました。

「リョウメンヒノキ」というのが本当の名前だそうです。





「なんじゃもんじゃの木」です。

木が大きすぎて全体が撮れませんでした。




↑クリックで拡大します。


木の上の部分です。

確かにちょっと見ただけではヒノキですね~!





名木100選になっているようです。


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三十槌氷柱(みそつちつらら)~秩父市大滝②(回想)

2021年03月03日 16時46分41秒 | 名所・史跡



氷柱の続きです。






ここからは人口の氷柱になります。































すごい氷柱です。






太陽の光が木の陰からさしていました。






たくさんの人が次々と見に来ていました。







これで「三十槌氷柱(みそつちつらら)~秩父市大滝」を終わります。

ご覧いただきありがとうございます。


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三十槌氷柱(みそつちつらら)~秩父市大滝①(回想)

2021年03月01日 17時08分02秒 | 名所・史跡


(11:25)

2013年2月11日(月)

牧丘町の竹林の福寿草を撮影した後で、雁坂トンネルを超えて、埼玉県秩父市大滝にやって来ました。

大滝の三十槌氷柱(みそつちつらら)を撮影するためでした。

ここに来たのは3度目になります。


天然の氷柱なので、有名なのだそうです。

14日のNHKテレビ「ゆうどきネット」でもライブ中継をしていました。

夕方はライトアップもするようですが、私たちは遠いのでライトアップは見れませんでした。


↑の写真は駐車場の展望台から撮影しました。



所在地  秩父市大滝4066-2(ウッドルーフ奥秩父オートキャンプ場)

駐車料金 500円






今年もきれいに氷柱ができていました。






下に降りてきました。

河原は凍っていてつるつるでした。



後で夫が言うのには、ここが寒くて風邪を引いたのだと言っていました。

確かに風も吹いて寒かったです。






見学者で用意の良い方は、靴にアイゼンもつけていました。

たしか、そこまですれば滑らないと思います。






少しづつ方向を変えて撮影してみました。






氷柱を望遠で撮って見ました。



















すごい氷柱です!



















ここまでが天然の氷柱だそうです。







三十槌氷柱(みそつちつらら)~秩父市大滝②に続きます。


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甘草屋敷雛飾り~甲州市②(回想)

2021年02月28日 17時39分13秒 | 名所・史跡


雛飾りの続きです。

たくさん飾ってあります。


今日は甲州市の市役所の方たちも来ているようでした。

市長さんもいるようです。












市松人形も飾られていました。






いろいろな雛飾りがありますね。











部屋の中の様子です。






傘福だそうです。

















入口近くの飾り付けです。



今年も見に来れてよかったです。








「甘草屋敷雛飾り~甲州市」を終わります。

ご覧いただきありがとうございます。


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甘草屋敷雛飾り~甲州市①(回想)

2021年02月27日 22時41分25秒 | 名所・史跡


(9:27)            

2013年2月11日(月)

今年も甲州市塩山の甘草屋敷(かんぞうやしき)の雛飾りを見に行きました。

例年通り、とてもきれいでした♪



この日は甘草屋敷の雛飾りをはじめ、牧丘の福寿草、さらに雁坂トンネルを超えて埼玉県秩父市大滝の三十槌(みそつち)の氷柱、長瀞町の宝登山(ほどさん)の蝋梅を見てきました。

往復240kのとても長距離のドライブになってしまいました。










甘草屋敷です。
















この日は休日だったせいか、お琴の演奏がありました。






こちらには古いお雛様が飾られていました。







享保雛だそうです。

享保年間(1716~1736年)






文化年間の雛だそうです。






吊るしびなと雛段です。










今上天皇ご誕生記念内裏雛だそうです。










甘草屋敷雛飾り~甲州市②に続きます。

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大月市郷土資料館⑥終

2021年02月25日 17時42分35秒 | 名所・史跡


大月市の主要遺跡分布図です。





拡大した地図です。










かまどの説明です。





昔の円通寺と岩殿城です。





円通寺の説明がありました。





岩殿城跡の説明です。





円通寺の不動明王です。









甲州街道の今昔が書かれていました。










甲州街道の説明がありました。




昔のアイロンが並べてありました。

電化前は炭を入れてアイロンにしたようです。





電化前と電化後のミシンです。

電化前は足踏みミシンでした。






これで「大月市郷土資料館」を終わります。

長い間ご覧いただきありがとうございました。


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大月市郷土資料館⑤

2021年02月24日 16時37分35秒 | 名所・史跡


猿橋記の石碑です。





猿橋の伝説が書かれていました。













猿橋の構造です。


















石仏です。





グンナイフウロのつぼみです。





直刀だそうです。

ずいぶん古いものです。



















大月市郷土資料館⑥終に続きます。


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大月市郷土資料館④

2021年02月23日 18時56分48秒 | 名所・史跡


昔の生活に使っていた道具が並んでいます。





傘や行燈などです。





左の四角い和紙を張ったものは行燈です。






明かりの歴史が書かれています。





水害があったようです。





水害で北海道に移住したようです。





猿橋の説明です。













宮谷白山遺跡の説明です。





石棒です。





土器です。




刀のようです。





大月市郷土資料館⑤に続きます。

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大月市郷土資料館③

2021年02月22日 22時50分16秒 | 名所・史跡


昔の様子の写真が続きます。










養蚕に使った道具ですね。





養蚕をしている様子です。

昭和40年代





右下の写真はうどんを作っているところです。

昭和30年代




上の写真は家族が囲炉裏に集まっている様子です。

昭和20年代





昔の冷蔵庫だそうです。





出土した土器が展示されていました。





石器時代に使われた石器です。



我が家の祖父も同じようなものを趣味で集めて持っていました。

貴重な石器なのに、今ではどこに行ってしまったのかわかりません。

バカな子孫ですよね・・・





土偶だそうです。





石棒だそうです。





大月市郷土資料館④に続きます。


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大月市郷土資料館②

2021年02月21日 22時23分26秒 | 名所・史跡



大月市の説明が書かれていました。


















1階の展示物です。







剥製が飾られていました。













昔の生活で使われた道具です。













約500万年前のふるさとだそうです。







現在のふるさとだそうです。







土器と石器です。



私が子どもの頃、祖父が石器時代の収集が好きで、石器や矢じりを集めていたのを思い出します。

大きな石皿や、たくさんの矢じりが木箱に並べてありました。

東京の展示会にも出したことがあると言っていました。

今はその石器もどこかに行ってしまいました。











大月市郷土資料館③に続きます。


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大月市郷土資料館①(安政5年のコレラ資料)

2021年02月20日 20時05分44秒 | 名所・史跡


(15:23)

2021年2月19日(金)

猿橋公園に河津桜の撮影に行ったのですが、桜はまだ咲いていませんでした。


そのまま帰るのも残念だったので、公園のそばにある大月市郷土資料館に入ってみました。

撮影禁止のもののほかは撮影してもよいと言われたので、撮影してきました。


2階には、ちょうど安政時代に大月市にコレラが発生して、パンデミックになったことが展示されていました。

そちらからブロブに載せたいと思います。
















年表が書かれていました。










拡大しました。

1858年大月にコレラが発生すると書かれています。

安政5年だと思います。





当時の資料です。





















パンフレットがありましたので、主だった場所をトリミングして載せました。











当時下和田村は生存人口397人、コレラ罹患による死亡者は8人とあります。

コレラの怖さがわかるような気がします。





当時は医療も進んでいなかったので、加持祈祷に頼るしかなかったようです。















大月市郷土資料館②に続きます。


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