ケアラーという存在……心の叫びでしかないのに

2021-07-11 00:00:00 | 日記風

 wallpapersafari.com(出典)

 たまたまネットで検索していたら、ケアラーという言葉を見つけた。

 何らかの形で身内などの介護をする存在のことを、そう呼ぶようだ。

 数年前、病院の看護師さんから今ある現実を少しだけ伺った。

 自分の親世代が何らかの形で病床につくことになり、その祖父母世代も介護を迎えている。

 孫世代になる子どもたちが、2世代を見なければならなくて、途方に暮れているという話だ。

 高齢化社会と言われてずい分と経つ。そういう現実があってもおかしくないのかもしれない。

 若い10代の子どもたちも、これに巻き込まれている。彼らはヤング・ケアラーと呼ばれる。

 学生が本文の年齢で、祖父母の面倒を少し見るだけならだが、母親が介護に疲れその代わりをせねばならない。幼い兄弟がいて、その子どもたちの面倒をみなければならないとすると、10代の子どもには難しい問題が起きてくる。

 日常の中で起きている問題であるなら、その苦しみはじわじわと日常の中から迫るもので誰に説明しても判ってもらえるものではない。

 ある20代の女性の話が忘れられない。

 彼女が高校生の頃、父親が病床に付した。長い入院生活が続き家計を切迫した。

 友だちと明るく過ごせるはずの日常に、父の病は大きく横たわる。

 家庭の中で、重圧は下へ下へと沈む。

 1番若い彼女の元へ、苦しみは沈殿しながら押し寄せた。

 彼女はそれが悪いこと判っていても、苦しみの中で心のコントロールを失い、病床の父にあるとき

 「さっさと死んでしまえ」

 と悪態をつくことになった。

 病床の父はそれを黙って受け止めるしかない。

 助けてと言っても助けてもらえない状態に、彼女は悲鳴を上げただけだった。

 病に伏している父に彼女は心の叫びをぶつけてしまっただけだった。

 やがて、父のもとに死が訪れた。

 彼女に残されたのは、自分が上げた悲鳴のような言葉だけだった。

 彼女は、自分の心と向き合う20代の日々を過ごすことになった。

 その過程の中で、一瞬私は彼女とすれ違っただけだった。

 けれど誰でも、彼女の立場になる。それを後になり、私自身も感じることとなった。

 いつでも家族の問題は、他人事ではない。誰かが手を差し出すと言っても、何をどうするべきか、とても難しい問題だ。



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