ワッフルな気分

朝の光につつまれて、
甘い香りのワッフルに苺をそえていただきます。

毛虫の嫌いな方は見ないでください。カイコの話かな?

2011-08-16 05:52:20 | ワッフル旦那のあれこれ

        

諏訪市美術館の前に片倉館という千人風呂がありました。
諏訪に製糸業を起こした片倉財閥の2代目、片倉兼太郎氏が1928年に造った温泉だということですが、すごくないですか。たかが虫ですよ、蚕は毛は無いけれど毛虫みたいのがこれを建てたといっても過言ではない。(もちろん経営努力や女工さんのはたらきですが)



       

と、いう訳で蚕ですが、
「カイコは家蚕(かさん)とも呼ばれ、家畜化された昆虫で、野生には生息しない。またカイコは、野生回帰能力を完全に失った唯一の家畜化動物として知られ、人間による管理なしでは生育することができない。カイコを野外の桑にとまらせても、ほぼ一昼夜のうちに捕食されるか、地面に落ち、全滅してしまう。幼虫は腹脚が退化しているため樹木に自力で付着し続けることができず、風が吹いたりすると容易に落下してしまう。繭を作る際も人工的な枠(まぶし)に入れてやらないとうまく繭を作れない。成虫も翅はあるが小さく退化しており、飛ぶことはできない。また、成虫は人間が近付いても逃げようともせず、逆に人間の方に自ら近付いてくる、という習性を有する。」

と、ネットではあります。
古事記にも出てくる程、古来から日本人も関わってきて、家畜だから「一匹、二匹」ではなく牛などと同じように「一頭、二頭」と数えるらしい。
私の実家でも私が生まれる年まで蚕を飼っていて、学校の帰り道、桑の実を食べたり、その白い虫と遊んでいたのを思い出す。そして長野も蚕と長く関わってきた地方です。

ヤママユガはカイコの仲間です。昔から天蚕や野蚕、山蚕などと呼ばれ、この繭から薄黄緑色の絹糸を採っていた。
天の虫ってなかなか素晴らしいネーミングである。
自力で生きていく為に、目立たない様に保護色になっている。(時期によっては明細色)
子供の時は葉の裏に固まっているのでなかなか鳥も啄ばめない。毛があるので飲み込みにくいし!

              (普通は地面に居ないで葉っぱにいます、手で触ると丸くなって自分を守ります)
繭も食べているもので色が違うのでまさに自然に溶け込んでいて秋や冬になると目立つがその時は天敵もいないから大丈夫。時々みかけて、その美しさにハッとする。

               (冬になると目立ちます)
天蚕は家蚕と違い繭は大きいのですが、長さは600m程(家蚕は1500m)でも引っ張り強度も強く艶も一般の絹より上、ハンカチサイズで3500円してましたが、染色されていない上品な薄緑の艶はなんともいい感じでした。

家の近くには白髪太郎(毛が白いからだろう)ともいわれる蚕の仲間、通称すかし俵と言われる繭が沢山ある。

                (もっとスカスカした通気性を優先した繭もあります。)

                (触っても刺しませんが家蚕と違ってあまり遊び相手としては私は、、、)
これが最強の強さをもち、昔は釣り糸に使ったと言われている。
海彦山彦の話を小さい時読んで、ナイロンが無かったのに何を使っていたのだろうと失くした釣り針より気になった覚えがある。これで機織りすると強靭な布が出来るので前掛けとかひざ当てなどに使ったとも聞いてます。
確かにかなり引っ張っても切れない。蜘蛛の糸の儚さとはかなり違いがあります。(それでも重量で換算すると鋼鉄のワイヤーより蜘蛛の糸の方が強度は上らしいが)

天蚕センターでこの虫と聖書の中の言葉の関係を話していた、毛虫が自らのぼっていき、死んだように木に架かる事、その後復活するごとく新しい体で飛び立つ事などだが、Saltさんが「でも蛾って醜いんですよね、なんでやろ」

それを考えていたのですが、傾向的に蝶は光の元を飛び、蛾は闇に羽ばたくからかなとか。

蛾は漢字なら虫に我と書く様に新しく生まれても、なを自分を捨て切れてない所が醜さになっているかもしれない(蛾に聞いた訳ではないが、、)。

片や蝶は虫に木の上に広がる世(界)を思うところが美しいのでないかと誠に勝手ながら片倉館を思い出しながら考えた。

コメント (4)
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