「大阪水曜ほっと集談会」公式ブログ

3月19日(水)14時~・3月18日(火)20時~(ZOOM)にてリモート集談会を開催します

洗濯も日常、悩むのも日常!

2023年08月18日 10時15分30秒 | コラム 


大阪水曜ほっと集談会一世です。

洗濯物が乾く、それだけで心が変化してるのを感じます。

今日のタイトルは 、樹木希林さんの「食べることも日常、死ぬことも日常」という言葉から発想を得ました。

樹木希林さんからは、森田的なインスピレーションをいただいています。

森田療法は、すべての人間に共通する普遍的な人間観であり、俳優やアスリートやアーティストなど職業や年代、性別を超えていると感じる私です。

さて森田とは何ですかと聞かれたら私はこう答えたい。

日常を、生きることそのものですと。

森田を学べば自然と価値判断が少なくなる。

洗濯することも仕事も同列になってくる。

森田博士は何度もなりきるという言葉を使われている。

私の勝手な解釈ですが、意識を目の前のやるべきことに、振り向けることによってとらわれがなくなるのではなく、意識が四方八方に分散し、一時的に忘れるという感覚でしょうか?

そしてこの意識が分散している状態が、最も安定しており、危険を回避できる状態と言えるかもしれません。

今日の森田博士の言葉

なお苦痛や恐怖になりきるということは、苦痛をそのまま忍受し、苦痛を逃れるがための小細工をやらないことであります。


2023.8.18 一世

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

死ぬまで集談会を続けたい!

2023年08月17日 08時11分40秒 | コラム 


大阪水曜ほっと集談会一世です。

この度の台風で被災された全国の会員の皆様心よりお見舞い申し上げます。

猛暑と持病の悪化で、気力がなくなり、しばらくブログを自然休止しておりました。

昨日と一昨日の大阪水曜ほっと集談会及び夜間懇談会で、皆様からあたたかいお言葉をいただき、復調の兆しを感じています。

やはりどこかに完全に健康な状態でないと次に進めないというかくあるべしがあったように思います。

集談会での学びで「60代は、省エネで生きる」といわれた言葉に深く共感させていただきました。

大げさだと思われそうですが、60代は生死が別物ではなく表裏一体の感が増しています。

心の思想の矛盾から少し解放されたと思えば、今は体の思想の矛盾へと変化していることを感じます。

健康な自分も病んでいる自分もどちらも本当の自分なのです。

森田博士は晩年、重い喘息の発作を持ちながら、死ぬまで神経質の研究を続けると書かれています。

私は先生の足元にも及びませんが死ぬまで集談会を続けるという思いを新たにしています。

年内に不定期ではありますが、 リアル集談会を開催するつもりです。

還暦後の人生で、現役世代の若い人たちを応援したい、元気になってもらいたいという思いがますます強くなりました。

今日の森田博士の言葉

また私は、死ぬまで神経質の研究をつづけたい。

それがあるがままの私の生命であります。

私の生命が私をその方に向かわせるのであります。



2023.8.17 一世
















2023.8.11 一世

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

愛と憎しみの感情について

2023年08月10日 08時45分44秒 | コラム 



大阪水曜ほっと集談会一世です。

世間とは真逆の勤務の私です。

皆さんが夏休みを迎えるこの時期は特に忙しく長いブログが書けません。

40年近い、サラリーマン生活で人間関係の苦しみを嫌というほど味わった私です。

そんな時に森田博士のこの言葉に、少し癒されたことがありました

今日の森田博士の言葉

人を愛さねばならぬ、人を憎んではならぬという鋳型に自分を当てはめようとする時には、自分の自然の心と理想との間に葛藤が起こって、自ら努力と苦痛を感じ、かえってその人の欠点、悪い所が次第に目につくようになる。

愛する心も憎しみも自分でコントロールできないようですね。

コントールできないことには、責任は生じないのです。



2023.8.10 一世

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

原点に立ち戻る!

2023年08月09日 08時56分41秒 | コラム 


大阪水曜ほっと集談会一世です。

あまりの暑さに梅干しと素麵で生きている私です。

さて、先日購読した雑誌「週刊現代」に同世代で将棋の棋士、谷川浩司氏の言葉が載っていました。

かつて将棋界で最年少名人を獲得された方です。

私と同い年で、関西出身と言うこともありとても親近感を感じています。

以下谷川氏のインタビュー記事より

時代の最先端にいる若手棋士と向き合うことは学びにもなる。

彼らとの対局で新しい戦法に出会った時にはまだ何もわかってない自分を知れたと楽しくなります。

厳しい敗北もうまく捉えることで自分を原点へと立ち戻らせてくれる。

負けることは決して悪いことばかりではないのです。

谷川氏は、後に負けたことで、自分を見つめ直し、「大人になっても好きなことができているのは、素晴らしいことじゃないか」という結論にたどり着いたそうです。

これは将棋の話であると同時に私たちの神経質症状との向き合い方にも共通すると思うのです。

症状がなくなっても、常に今悩んでおられる初心者の方から学ぼうとする謙虚な姿勢が自覚を深めると思います。

天才でありながらけっしておごらず自分を見つめ続けておられるところが、谷川氏が還暦を過ぎてもなお進化を続けておられる理由だと思います。

レベルは違いますが、私も20代から継続している現在の仕事を維持するために、自分の過去の経験からではなく、若い人から常に学ぼうと心がけてきました。

変化し続けるためには、経験が邪魔をするのです。

特に成功体験には自己満足という、落とし穴があるのです。

また初心者懇談会で初めて参加された方の言葉の一つ一つから、悩み苦しんでいた頃の自分の原点に立ち戻ることが出来たのです。

今日の森田博士の言葉

自ら欺くことなく、自己を正しく如実に認めることを自覚という。



2023.8.9 一世




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スピリチュアルペインと森田!

2023年08月08日 03時17分01秒 | コラム 


大阪水曜ほっと集談会一世です。

猛暑に体力を奪われる日々です。

また多忙による仕事のストレスも増しています。

これら体の痛みや精神の痛みは休息や季節の変化によりやがて改善されることでしょう。

実は痛みにはもう一つ、体や意識の外に表出しないスピリチュアルな痛みがあるのです。

そしてすぐには改善できないのが、この第三の痛みといわれるスピリチュアルペインなのです。

スピリチュアルペイン魂の痛みと訳される事もあります。

精神的な痛みとは似ているようですが全く違うとされています。

人間が生まれながらにして与えられた根源的な苦しみ、生きていくこと、老いていくこと、病に罹ること、死んでいくことによる痛みといえるでしょうか。

過去に私はスピリチュアルペインについてこのブログにこのように投稿しています。

以下、

集談会で語られる症状の背後には、決して誰にも言えないスピリチュアルペインが隠れているのかもしれません。

私たちは、その声なき声に本当に耳を傾けているのでしょうか。

人生100年時代を迎えるにあたり、悩みも多様化するでしょう。

私たちは森田理論というフィルターで、初めて参加された方の話の価値判断をするのでなくて、もっと幅広い知識や視点が求められると思います。

学べば学ぶほど、自分の無知に気づき、中途半端なアドバイスなどできなくなるでしょう。

今もその思いは変わっていません。

スピリチュアルペインについては、特効薬はありません。

各自が答えを見つけるしかないのです。

パニックや対人恐怖などで肉体的な死や社会的な死の疑似体験をした私たちは、スピリチュアルペインの扉を開けてしまったのです。

それは不幸なことではなく、限りある命を生きる私たちにとって心底から幸運なことであると思うのです。

心療内科でもカウンセリングでも語られることのない、本人ですら自覚されていないこの魂の痛みに対しても森田は必ず何らかの答えを用意してくれていると感じる一世です。



2023.8.8 一世

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする