大阪水曜ほっと集談会一世です。
コロナ禍後の社会で人と会うのが辛いと感じる若者が増えているという。
コロナという隠れ蓑が無くなった途端、本当の自分と向き合うことに不安やためらいを感じることは何となく理解できる私です。
コロナを神経質症状に置き換えた時それはより鮮明になることでしょう!
でもここからが本当の出発点ではないかという気がしています。
今日のタイトルは、龍谷大学大学院教授で外科医の田畑正久氏の「今を輝いて生きるために」よりいただきました。
仏教と医療の協力関係の文化を創るという取り組みをされています。
氏の法話を直接聴かせていただきとても共感させていただくことがありましたので、森田とはジャンルが違いますがこのブログで取り上げさせていただきました。
以下「今を 輝いて生きるため」により
※脳の意識は思考する時に向こう側に見る( 対象化)というところで いつの間にか自分が切り離されているために私を含めた全体を見る視点を失うという弱点を抱え込んでいるようです。
私の身と心を合わせて なおかつ 私の周囲をも一体として全体が見える時あるがままをあるがままに 見ていると言えるのです このような視点での受け取りができないのを仏教は迷いというのでしょう。※
近年の研究では脳は司令塔ではなく、各臓器に情報を発信する広報のような役割をしていると言われれています。
したがって脳が間違って情報を発信するとそれに各臓器が過剰に反応する。
極論ですがこれが心身のアンバランスを生み鬱や自律神経の乱れを引き起こすのかもしれません。
まあ、素人のたわごとですが。
ところであるがままという概念は森田療法に限ったものではありません。
すでに何百年も前から仏教では自然法爾という思想に表れていますし、近年ではビートルズのLet It Be(レットイットビー)やディズニー映画「アナと雪の女王」の主題歌Let It Go(レットイットゴー)にもその思想が地下水のように流れていると感じます。
最後に日本心理学会機関紙「心理学ワールド」において、「森田療法におけるあるがまま」について考察された久保田幹子教授のデジタル記事を紹介させていただきます。
※森田が述べる「あるがまま」とは,不安のやりくりは不可能な努力とし,事実は事実としてそのまま受けとめる姿勢と同時に,生の欲望に従って日常生活に関わる姿勢を促すといった二つのメッセージを含んでいる。※
様々な視点であるがままをとらえることは、とかく自助グループ内で語られることがすべてのような誤解を払拭することにつながり森田療法そのものの多様性につながると感じる一世です。
2023.5.29 一世
※田畑正久氏著 「今を輝いて生きるために」樹心社発行
※久保田幹子氏 法政大学大学院人間社会研究科臨床心理学専攻 教授 公益財団法人日本心理学会機関誌「心理学ワールド」より抜粋