大阪水曜ほっと集談会一世です。
いまだに恐怖突入=森田などと言われると悲しくなる私です。
それはさておき最近アドラーに関心がある私です。
今週はアドラー心理学から見た森田療法というテーマでブログを書きたいと思います。
残念ながら私にはアドラー心理学について語る力量も原語で読解する能力もない。
すべては哲学者岸見一郎氏の卓越した感性からとらえたアドラー像によるものである。
最近氏の「※嫌われる勇気」と「※幸せになる勇気」を読み返している。
※アドラーにより森田療法の輪郭がとてもはっきりとしたと感じている私です。
もしこの時代を同じくする二人の精神科医が論争したとすればどのような展開になっただろう!
そう考えるだけでワクワク感が止まらない。
大谷翔平選手とマイクトラウト選手のようなお互いがお互いをリスペクトしながらライバルである関係性が望ましいが、こればかりはわかりませんね。
水と油かもしれない。
アドラーの生きた時代には、フロイトやユングそして社会心理学を確立したといわれるフロムなどまさに心理学の世界にとってパラダイムシフトが起こり百花繚乱なのです。
その時代に森田療法が東洋で生まれたことはある意味必然であったのかもしれません。
いきなりですがアドラー心理学では、カウンセリングを治療ではなく再教育ととらえているのです。
さらに教育とは「介入」ではなく自立に向けた「援助」でありそのためには人間の本性を知り、人間としての在り方を理解すること。
アドラーはこうした知のことを「人間知」と読んでいるのです。
森田博士も、再教育という言葉を使われているのはご存じですね。
アドラーの言う「人間知」は森田療法での「自覚」だと私は思います。
ではなぜ過剰に介入してしまうのか?
対人関係を縦でとらえ相手を自分より低く見ているからこそ、介入してしまうと岸見氏は述べられています。
これに対してアドラー心理学では、「勇気づけ」と呼んで横の関係に基づく援助にシフトしようとするのですね。
私は関西オンライン初心者懇談会を通じて、若い初心者の方が求めるものが縦の関係性ではなく横の関係性であるということを実感し発言もしてきましたのでこのことは理屈ではなく理解できます。
賢明なる数少ないこのブログの読者の皆様はどう思われますか?
森田とアドラー、この二人の偉大な学者が生前交流があったとは思えませんが、共に説いていることが偶然と言えば偶然過ぎるほど似ていますね。
さらに岸見一郎氏の「嫌われる勇気」にはこう記されています。
※われわれを苦しめる劣等感は、客観的な事実ではなく主観的な解釈によるものである。
森田博士は、理屈で事実を捻じ曲げるという表現をされています。
たとえば緊張して赤面するため人間関係がうまくいかないという悩みに対してアドラー心理学ではどう解釈するのか、そして森田療法ではどのようにとらえているのこれからそれを学んでいくのがとても楽しみな一世です。
2023.4.30 一世
※アルフレッド・アドラー(Alfred Adler)、1870年2月7日 - 1937年5月28日)は、オーストリアの精神科医、精神分析学者、心理学者でフロイトおよびユングと並んで現代のパーソナリティ理論や心理療法を確立した一人。
※嫌われる勇気・幸せになる勇気 ダイヤモンド社
※岸見一郎氏・古賀史健氏共著