「大阪水曜ほっと集談会」公式ブログ

12月17日(火)20時~・12月18日14時~(ZOOM)にてリモート集談会&忘年会を開催します

子どもの問題と森田

2022年11月30日 07時50分05秒 | コラム 


大阪水曜ほっと集談会一世です。

定年後のライフワークとして子ども食堂について関心のある私です。

完全なボランティアとして手弁当で関わるつもりです。

集談会活動をしていく中で、時々発見会での活動をボランティアと呼ばれている方があります。

社会向けのわかりやすい表現と受け止めていますが、私は集談会活動は、自分の学びでありボランティアと考えたことは一度もありません。

さて27日の新聞にNPO法人「 Learning for All 」 について掲載されていました。

これまでにのべ9,500人以上の困難を抱えた子どもへの無償の学習支援や居場所支援の活動をされているそうです。

以下ホームページより抜粋させていただきます。

「子どもたちが抱えている問題は決して経済的貧困だけではなく、「つながり」「学びの環境」「育ちの環境」の喪失が複雑に絡み合う中で、子どもたちが将来自立するための成長機会を失っていることだと確信しました」と書かれていました。

孫2人を持つ私としては、子供たちの未来について考えることがあります。

子育てをしながら共働きで経済的に余裕のない娘夫婦を見ていると、少しは現状を理解しているつもりでしたが、現実は厳しいですね。

発見会でも子どもの教育と森田について早い段階で、神経質な子供への森田的なアプローチが模索されていますが、すばらしいことです。

私が生まれた昭和30年代は、今から思いますと考えられないくらい貧しかったですがどの家庭も同じような環境であったので殊更、我が家だけが貧しいと感じることはありませんでした。

今はSNSなどで情報が錯綜し、否が応でも格差を感じる仕組みです。

森田先生は、当時の教育の弊害を説かれ再教育と言われました。

その結果すばらしい門弟が育ち社会に貢献されました。

私は日々生きるのに精一杯で、そのような立派な人間ではありません。

しかし少しでも森田療法を通じて何かしら社会の問題にも関わりたいと考えています。



2022.11.30 一世

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為すべきをしない、非目的本位な私の日常!

2022年11月29日 07時20分25秒 | コラム 


大阪水曜ほっと集談会天邪鬼一世です。

秋の京都に行きたいと思いつつ仕事に明け暮れている日々です。

ところで森田博士は、神経質はヒネクレの一面があると手厳しいです。

また人は強いて善をしようとするから偽善になると説かれています。

私などはその典型です。

以下は私の偏った考えによるものであることをお断りしておきます。

還暦になり出来るだけ、必要以上に為すべきことをしないようにしています。

またできるだけ目的を決めない生活を心がけています。

これは仕事も、集談会活動も然りですね。

ここのところ原因不明の頭痛とめまいが続いているのです

おそらくストレスかと思います。

出来るだけ体の声に耳を傾け、無理をしないように気をつけています。

先日も有給休暇を2か月前に申請していたにも関わらず、人員不足を理由に出勤の依頼がありました。

以前の私であれば当然のように引き受けていたが、今回は熟慮の上断りました。

何でもかんでも引き受けていると、あたりまえになります。

良い人にならなくても良い!

休みの日は出来るだけ予定を入れないようにしています。

その日にやりたいと思ったことをやると決めています。

自分のために時間を使う!

人にどう思われるかではなく、自分の心が満たされているかを最優先に考えて行動しています。

自分の心に栄養を与えることが今の私の為すべきことです。
2022.11.29一世













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森田博士から学んだ不安との向き合い方!

2022年11月28日 06時34分00秒 | コラム 


大阪水曜ほっと集談会一世です。

時に危険を察知するセンサーが働き過ぎて誤作動を起こしてしまう神経質性格です。

60年の人生で、石橋をたたいて渡らなかった経験が山のようにあります。

ところで大阪水曜ほっと集談会忘年会を開催するかどうか、真剣に悩んでいた私です。

今回は、開催します。

感染症対策をしっかりやっているお店を事前予約でチョイスしました。

女性会員の方に参加いただきやすいように夜間を避け、昼間の混雑する時間をずらして13:30からのスタートです。

出来るだけ他のグループと重ならないよう個室スペースを確保しています。

お料理も個人盛です。

考えられることはすべてやりました。

あとは、皆さんと美味しい料理を食べながら楽しく会話をするだけです。

森田を学んだことで、不安の要因を出来るだけ具体的に洗い出す習慣が出来ました。

自分が今悩んでいることは、事実かどうか?

現実的に対応する必要があるのかどうか?

思い込みや取り越し苦労から、不安な感情に圧倒されているだけではないか?

コロナは嫌だが、集談会の皆さんにリアルで会いたい。

今回も忘年会のことを考えながら森田先生ならどう判断されるかと考えていました。

結果以下の文章が目に留まりました。

森田博士が登山をされた時の体験によるものです。

重い喘息で息切れが激しく頂上には登れないと断念しながら、気がつけば上向きに歩いていたそうです。

そして気がつくと森田先生は登れないと断念した頂上に着いていたそうです。

そのときの逸話をこう表現されています。

また少し歩いては休む。

こうしているうちに、いつの間にか頂上に着いていた。

たいして苦しくもなかった。

諸君どうです。

僕は登れないと断念していた頂上へ上ったのです。

それがありのままの僕の命の結果です。

僕は死ぬのは嫌である。

しかしいまは、大きなことをいっているが、明日でも死ぬかもしれない状態にある。

しかし僕は死ぬまで神経質の研究を続けたい。

それがありのままの僕の命である。



2022.11.28 一世

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人間は死んだらどうなるのか?

2022年11月24日 20時54分57秒 | コラム 


大阪水曜ほっと集談会一世です。

朝から暗い話であるがご容赦いただきたい。

最近体調が優れないせいか、自分はいつ、いかなる状況で死ぬのか考えることがある。

また兄弟が早世していることも一因かと思う。

10歳の頃のことである。

人間は死んだらどうなるのかという不安に苛まれていた時期がある。

森田博士も少年期にお寺の地獄絵を見て死の恐怖に取りつかれたと書かれている。

何処か共通している部分を感じる。

今から思うと随分早熟であった。

文学や哲学に魅かれ、ひたすら生きることの意味を探していた時期もあった。

当時は観念としての死であったが、今は60代で亡くなる人も多い事を考えると現実である。

ある意味で神経質者とは、命が有限であると感じている人々ではないだろうか?

森田博士は、死についてこう述べられている。

私にとっては死ということは、いかなる場合、いかなる条件にも、常に絶対的に恐ろしいものである。

私はたとえ私が一二五歳まで生きたとしても、そのときに死が恐ろしくなくなることは、けっしてないということを予言することができる。

世の中の大半の人々は、自分はいつまでも元気で、死は別世界と考えてのんきに生きている。

神経質者は、今にも死ぬのではないかという不安を抱えながら生きている。

どちらが良いかという問題ではない。

生死一如という言葉あります。

これは森田博士の言葉ではなく仏教の言葉です。

仏教では、「生」と「死」を別のものとして分けてとらえるのではなく、二つをひっくるめて「生死(しょうじ)」と言うそうです。

命を有限と感じる感性が、よりよく生きたいという発想につながる。

最近あらためて神経質であることに、感謝の気持ちがわいてきた一世です。


2022.11.25 一世

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最後まで自分を信じることで生まれる奇跡!

2022年11月24日 09時40分12秒 | コラム 


大阪水曜ほっと集談会一世です。

昨日はワールドカップ「カタール大会」での歴史的勝利に歓喜に沸いた日本でした。

途中で疲れて諦めて寝てしまった私です。

今朝のニュースで、ドーハの悲劇から29年も過ぎたのかと思いました。

昨日のことのようです。

その悲劇がなぜ昨夜の歓喜を生んだのか?

その問い掛けにドーハの悲劇のサブメンバーだった北澤 豪さんが、個々の能力のレベルアップ+海外のチームで自分と向き合う時間が増えたことと言われていました。

若い会員の皆様、人生はあっという間に過ぎていきます。

症状との格闘にかなりの時間を費やすには人生は短すぎます。

森田博士は、努力即幸福と言われました。

結果は別として最後まで自分を信じて努力を積み重ねることに幸福感を感じるだけでも良いのではないでしょうか。

振り返りますと人間関係の苦しみからサラリーマン生活を何度も諦めかけた私です。

華々しく活躍することもなく、出世することもなく、誰からも褒められる事もなく、潜伏期間37年で定年という一つのゴールを迎えました。

そのような私ですが先日若い職場の仲間の結婚式に招待され一番新郎新婦に近い来賓席に座らせていただきました。

身に余る光栄で、飲み過ぎて反省しています。

ところで集談会の中でも、せっかく森田療法に出会えたにも関わらず、森田でも救われないと諦める方があります。

若き日の私も正にそうでした。

集談会から離れ、発見誌も積読だけの日々もありました。

理由など何もありませんでしたが、十代で森田療法に出会い、自分の苦しみの原因がこれだと直感的に感じました。

今でもその直感は、正しかったと思います。

もちろん、集談会も一般社会と同じで感性の合わない人もありました。

それも事実ですが、毎月お会いする仲間の皆さんの人生に対するリスペクトから、無条件に自分に重ねていることもありました。

なんども投稿しましたが、一番の学びは人は立場や貧富に関係なく、何らかの苦しみを背負いながら生きているという事実です。

そしてそこから見えてきた平等観です。

自分の直感を信じる。

目先のことに一喜一憂することなく、とにかく続けてみる。

結果はどうしようもない。

評価も他者に任せるしかない。

最後まで自分を信じる者にのみ見えない力が働く。

私に出来ることは、ひたすら自分を信じて努力即幸福の日々を継続するしかないと感じている一世です。



2022.11.24 一世


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