気分本位・事実本位
気分本位とか、これは私の用いた言葉ですが、(中略)自分の気分を第一におこうとするものを気分本位というのである。
毎日の価値を気分で判断する。
今日は終日悲観しながらも、一人前働いたという時に、悲観したからだめだというのを気分本位といい、
一人前働いたからそれでよいというのを事実本位というのであります。
(『森田正馬全集第五巻』169頁~170頁
早いものですね。
先生に初めてお会いしてから、40年近い歳月が流れました。
森田劣等生の私ですが、おかげさまで、何とかやっています。
こちらは、ずいぶん寒くなりました。
冬の寒さを、忘れてしまうほどあたたかくて、穏やかな先生の笑顔を想い出します。
「50年また許されて除夜の鐘」
「主役の座降りる緑が美しい」
理解の遅い私ですが、ようやく先生が生前に残された川柳が、少しは理解できる年齢になりました。
先生昨年は、辛いことがたくさんありました。
弟が急逝したり、思うようにいかないことばかりで。
すみません、先生は確かこのように教えてくださいましたね。
「私は、こんなに苦しんでいるのに」とか言って自分の事ばかりに目が向きやすいのですが、
愚痴や不平を言っていると感謝は生まれないということですね。
神経質者の生き方、それは感謝の心と他者に対する思いやりの心を育てること。
そのためには、たくさんの本を読んだり、多くの体験をして視野を広げることです。
世の中は、自分を中心にして動いているのではありません。
これは、集談会の場においてもそうです。
仲間で、こんなに苦しんでいる人がいるのだ。
何か、私にしてあげられることはないだろうかと考えてみる。
そこから共に生きる仲間という感情が生まれてくるのです。
ありがとうございます。あ、それから先生、
今年3月に、河野先生が設立から情熱を注がれた姫路集談会の、「40周年記念集談会」があります。
その時に先生との思い出を少しお話しさせていただいても良いですか?
先生の心の中の私は、永遠に世間知らずの10代の若造かもしれませんね。(笑)
それではまた手紙を書かせていただきます。
2019.1.2