「大阪水曜ほっと集談会」公式ブログ

11月19日(火)20時~・11月20日14時~(ZOOM)にてリモート集談会を開催します

~歌にささえられて~

2021年09月29日 11時47分42秒 | コラム 

 

名古屋の六ちゃんです。

福岡のなおちゃんに触発されて私も投稿しています。

私が神経症と鬱で日常生活が八方ふさがりになり、出口が見えずとても苦しかった時代になんでもいいから自分の為になにかがやりたい!そう思って始めた事。

それが「400人で歌う市民の第九」でした。

 

歌をちゃんと習ったこともない。

ただ歌うことが好きなだけ。

しかも上がり症、対人恐怖、うつの真っただ中。

ボロボロになりながらだったけど、鬱が重く休んだ日もあったけど、八方ふさがりの日常と完全に切り離された週に一回の第九の練習時間。

半年の練習の間、結局誰とも仲良くはなれなかった。

友人や家族と連れ立ってきている人もいたが、私はいつも端っこの適当なところに座って知り合いを作らないようにしていた。

たまに同じ人と隣り合うこともあったが、個人的な事は何も聞かなかった。

一緒に練習して、終わったら「おつかれさま、さようなら。」そんな関係がその時の私には精一杯だった。

本番一日のためだけの半年間の練習。

何百人もの人で作り上げるたった一つの音楽。

ある意味とても純粋な芸術活動だった。

 

そして本番当日舞台の上。

オーケストラの音を聞きながら、指揮をよく見ながら、とにかく間違わないように歌った。

教えてもらったことを必死に思い出し、一生懸命歌った。

400人の歌とオーケストラとで舞台の空気が震えていた。

それが体の芯にまで響いた。

「歓喜の歌」を歌い終えた時、舞台の上で拍手喝さいを聞きながら眩しいライトの中で、私はヴェートーベンと一緒に芸術の泉のほとりに立っているような気がした。

うつと神経症に振り回された時代の、一筋の光の時間だった。

私は毎年応募し、3年続けた。

 

その頃、娘は児童合唱団に入った。

その活動を見ながら私もやっぱり歌を続けたくて、今所属する地域コーラスに入った。

思えば何のしがらみもなく本当に歌を歌うためだけに通えたのは「第九」だけだった。

その後の娘の合唱団の父母会の役回りも対人恐怖でしんどい事が多かったし、今の地域コーラスも対人や上がり症で私には試練だと思うことも多い。

やめた方が楽かもと思う日もありながら、それでも続けてこられたのは歌がいつもその真ん中にあったから。

やっぱり歌が好きだった。

 

第九を退いてからは、日本の唱歌、古くから歌い継がれている歌、生活の歌、愛の歌、歌謡曲、様々な曲を歌ってきた。

そして歌には必ず作者の思いが乗っており、その背景や意味を知るのも面白い。

歌いながら、自分の記憶や体験と重なったりして自分の思いも乗っかっていく。

メロディーにのればそれは世界へと広がり、みんなで歌えば奥行きが生まれ・・・

どんな辛い日も、練習に行けば歌に力づけられた。

 

休もうか迷って迷って参加した日も、お腹から声をだして体中の空気が入れ替わったら、帰る頃は体がホカホカしていた。

行ってよかった!と必ず思った。

それは先生の指導力のおかげもあり、仲間の力もあるけれど、しんどい日こそ歌の歌詞が心に沁み、メロディーに励まされていた。

ずっと歌に励まされ、支えられてきた。

これからも歌とともに生きていきたいと思う。


2021・9・29 名古屋の六ちゃんより

 

 

大阪水曜ほっと集談会一世です。

名古屋の六ちゃんが女神に見えている私です。

ここのところ心身の不調で投稿が出来なかった私をなおちゃん六ちゃんがサポートしてくださいました。

感謝の言葉以外見つかりません。

高校生のある時期、読書恐怖・雑念恐怖という強迫観念により不登校の日々がありました。

そのような苦しい時期に私も音楽(合唱)で救われたひとりです。

言葉にできない苦しみを経験された六ちゃんが奏でる音楽は、きっと多くの仲間の心に響くはずです。

これからも私たちの集談会に、すばらしい心のハーモニーを届けてください。

ありがとうございました。

 


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-桔梗(ききょう)咲きー

2021年09月24日 07時19分15秒 | コラム 

 

福岡のなおちゃんです。

いろいろあって、こころはトンネル中です。

今朝は秋分の日でお休み、疲れがたまっているので、
ずっと、寝ようと思っていたのですが、
いつものように起きて、いつものようにごはんを食べて
一日がはじまります。

眠い目をこすりながら、玄関を開けてびっくり、

もうすぐ10月なのに、満開の朝顔が咲いています。

形は、丸くなくて、桔梗のような形です。

色は深い紺で、ベルベットの生地のような質感です。

数えてみると、四十七個。

頭の中で「四十七士」「忠臣蔵」「侍」「志」・・・

と連想ゲームがはじまって、ちょっぴり、おかしくなりました。

最初に咲いたのは7月12日、

最初のうちは雄しべと雌しべが突然変異で、花弁になって花びらが幾重にも重なる八重咲きですが、
夏の終わりになると、一重咲きになり種ができます。

いろいろあって、こころはトンネル中だけど毎日欠かさず、お世話を続けています。

もう少し、花を楽しめそうです。

いろいろあって、こころはトンネル中だけど、

焦らず、無理せず、しばらく、ここでのんびりしよう。

 

2021・9・23 なおちゃんより


久しぶりの福岡のなおちゃんの投稿でした。

ありがとうございました。

不思議なことに一世が投稿に行き詰まっていると救世主のように現れるのです。

「ネガティブ・ケイパビリティ」 という言葉をご存じでしょうか?

「すぐには答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力」のことを言うのだそうです。

「いろいろあって、こころはトンネル中です。」と言うリフレインの中に、ひたすら耐えているなおちゃんのネガティブ・ケイパビリティを感じる私です。

やがて、そこから多くの学びと自覚を深めていかれる、未来のなおちゃんの姿を想像している一世です。

私もまた、いろいろあって、こころはトンネル中の一人です。

 


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彼岸花とユーモア

2021年09月19日 06時03分00秒 | コラム 

大阪水曜ほっと集談会一世です。

昨夜、焼さば寿司のテイクアウトを食べて超幸せな私です。

最高に美味しかったです。

ところでもうすぐお彼岸ですね。

秋を代表する花がコスモスだとすればその対極にあるのが、彼岸花そのようなイメージです。

若い頃は、コスモスが好きで彼岸花は嫌いでした。

年齢と共に彼岸花をみると、妙に心が落ち着きます。

田舎育ちの私は、子どもの頃から登下校で見かけた、心の原風景のひとつのような気がしています。

孫が生まれてから最近は、登下校の小学生を見るだけで涙が出そうになります。

これからいろいろな人生のハードルが待ち受けているけど、がんばれ!

そのような思いです。

彼岸花(ヒガンバナ))は別名曼珠沙華とも呼ばれ、花言葉悲しき思い出だそうです。

さて、彼岸花の彼岸とは、もともと仏教の言葉であり意味としては煩悩を脱した悟りの境地のことを意味するようです。

さらに、三途の川をはさんで、我々が住んでいる世界を此岸、そして向こう側の仏様の世界を彼岸といいます。

大好きな作家で、僧侶の瀬戸内寂聴さんが冗談で面白いことを言われていました。

昔は、渡し船で六文銭を支払い行っていたが、近年は人口が多いのでフェリーで行くと言われてました。(笑)

コロナ禍では、密にならないようにアクリル板と消毒液が設置されているかもしれませんね。

不謹慎かもしれませんが、これくらいのユーモアがないと生きづらい世の中です。

ユーモアと言えば元発見会の顧問で医師であられた河野 基樹先生(平成8年逝去)もまたユーモアにあふれた方でした。

晩年、「私が先に逝ったら発見会の会員が迷わないように、彼岸か天国かわからないけど、〇〇集談会の旗を持って待っているよ」と言われました。

マジックを披露されていた笑顔と共に、いつも思い出されるユーモアにあふれた先生とのエピソードです。

私たちの集談会も、音楽を取り入れたりできるだけ笑いを演出したいと思います。

次回は自己紹介で、最近おもわず笑ったことをテーマにしたいと思います。

ぼちぼち(関西風)がんばりましょう。


2021・9・18 一世


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新しい自分を生きる。

2021年09月17日 23時47分49秒 | 集談会日記

 

大阪水曜ほっと集談会一世です。

台風14号の影響で、強い雨と風が吹き付けています。

さて先日パラリンピックで金メダルを目指して闘ったあるアスリートが、予想もしない事故により人生の目標を失いかけたと言われていました

それがパラ競技の車いすラグビーと出会うことにより、新しい自分で生きることを選択されているのですね。

ところで集談会の自己紹介で語られる内容は本当に様々ですが、ある共通点があることに気が付きました。

それは、無意識のうちに過去のとらわれの無い頃の自分、元気だった頃の自分と比べているという事実です。

いつもベストコンデションで前向きな人生などあるのでしょうか?

嫌々仕方なしに、1日をなんとなく終える日々の私です。

人は望む、望まないにかかわらず病気になったり、そうでなくても必ず老いていく存在です。

若く体力がありバリバリと仕事をこなし、溌溂とした自分が本当の自分であるならば、定年を前にした少しくたびれた自分は、価値のない存在だと言えるかもしれません。

しかし本当にそうなのでしょうか?

私には、これからが自分の人生だという気がしてなりません。

やりたいことは、山ほどあります。

出会いたい人も山ほどあります。

読みたい本や観たい映画も数えきれないくらいあります。

新しい自分で生きる。

今静かにそのことを考えています。


2021・9・17 一世


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女性が活躍できる発見会へ

2021年09月16日 09時59分30秒 | コラム 

 

大阪水曜ほっと集談会一世です。

昨日は、大阪水曜ほっとリモート集談会でした。

関西以外からも多くの方が参加されました。

私は、特に女性の参加が増えていることが、率直にうれしいです。

自己紹介で語られる内容も家事や、趣味、家族、ビジネス、地域社会、お子さんの学校のことなど多彩です。

会員歴の長短ではなくて、生活にきちんと向き合ってこられた女性会員の方から学ぶことが本当に多い私です。

私たちは、以前大阪で平日水曜の夜間集談会として運営していました。

どうしても仕事帰りの男性サラリーマンが多く、そこで語られる内容はビジネス森田の傾向が強かったと思います。

理論偏重にも疑問を感じていました。

学者になるわけではない、生活に即した森田が、私の求める森田でした。

なんか違うな?

森田先生が目指した療法並びに人間学はもっと拡い世界観だと、常に違和感を感じていました。

さて、女性の方が参加されにくい背景として、ひとつは土日の対面開催の問題があったような気がします。

子育て中であれば、平日夜はもちろんですが、土日も家族の事で参加しにくい。

今後、集談会も平日の午前中や昼間の対面開催やリモート開催など選択肢をどんどん増やすべきです。

ところで発見会は、なんで女性の理事や支部長がほとんどいないのか?

国政より女性の活躍の場が少ないのは、大きな問題です。

リモート開催により、自宅で東京の本部ともやり取りができる時代です。

私は、女性と若者の参加を阻む組織は、硬直化してやがて衰退すると本気で思っています。

やせ我慢のような、男らしさを常に要求される社会も大嫌いです。

コロナ禍を機に今までの固定観念や既成概念を見直そうではありませんか!


2021・9・16 一世


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