「大阪水曜ほっと集談会」公式ブログ

3月19日(水)14時~・3月18日(火)20時~(ZOOM)にてリモート集談会を開催します

今年1年ありがとうございました。

2023年12月31日 08時30分33秒 | コラム 


大阪水曜ほっと集談会一世です。

今年最後のブログを投稿させていただきます。

大晦日、皆様いかがお過ごしでしょうか?

さて今から仕事に出かける私です。

非正規雇用は辛い!

今日は、家族で団らんされている方や仕事の方やひとりで悩んでいる人もあるかもしれません。

それぞれの思いが交錯する、大晦日ではないかと思います。

今年も集談会と懇談会をそれぞれ毎月開催出来ましたこと、心より感謝申し上げます。

また7月から大阪水曜ほっと集談会に参加いただいている有志の皆さんが、世話役になっていただき、全国版リモート初心者懇談会への参画が叶いました。

お礼申し上げます。

個人的には、昨日長女夫婦に孫と次女が帰省して、賑やかな年の瀬を過ごしています。

明日元旦が、初孫の誕生日で1日早い誕生日のお祝いをしました。

美味しそうにケーキを頬張る孫娘を見ているととても、幸せな気持ちになりました。



今年1年、家族と会員の皆様の健康を念じたいと思います。

来年もどうぞよろしくお願いいたします。



2023.12月 大晦日 一世

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熱い森田と冷たい森田!

2023年12月29日 00時09分40秒 | コラム 


大阪水曜ほっと集談会一世です。

森田にアイスもホットもあるんかいな?

とヤジを飛ばされそうですが、私はあると思っています

冷たい森田とは、いわゆる研究者や専門家といわれる人たちから語られる極めて冷静で学術的な技法を駆使した理論的な森田です。

半面私はこれで立ち直りました、これで克服しましたという自己の体験をベースにした生死の問題に切り込んだ、熱い森田もあります。

正直どちらも森田を語っているようですが、共に森田の一つの側面であり、森田のすべてを語りきれていない気がしていました。

大学の単位取得のような、〇〇学習会を終了したからすぐにすべてが得られるようなそのような性質のものなのかという違和感が常にあったのです。

また成功体験に裏づけられた、行動による成果が治ることであるならば随分薄っぺらいと感じる気持ちもありました。

そのような私の心の片隅にあった問いに、しっくりする言葉を見つけました。

それは後ほど紹介しますが、森田は神経症者救済の優れた技法にとどまりません。

避けられない生死の問題に人間がいかに処していくかを内省した、ある意味で人間の不条理を包み込む思想であったことに気がついたのです。

それゆえに、時代や環境を超え現代の私達に語りかけてくるものがあるのです。


※今日の森田の言葉

それでは神経症者とはどういう人々なのでしょうか。

恐怖や不安を人間の誰にもありえる当然の感情として「あるがまま」に受け入れることができずに、この恐怖や不安を排除しようと「はからい」そのためにますます強く恐怖、不安にとらえられ、そうして抑欝と煩悶におとしめられていった人びと、これが森田のいう神経症者です。

森田療法とは、そういう神経症者に対して、あなたがおびえている死の恐怖とはあなたが持っている強い生の欲望の反面なのですよと、つまりは死の恐怖とは生の欲望のまごうことのないあらわれであることを認めさせ、そうして生の欲望に素直に身をゆだねて人生を送るという態度に神経症者をめざめさせる、そのための療法であります。

人間感情の機微をよく見定めた実に平易な療法思想だと私には思えるのです。

森田療法は、神経症者救済の優れた技法ですが、しかし単に技法であることをこえて死生の問題に人間がいかに構えるかという、われわれの人生の大事に迫る思想の体系だと私はみております。

いいかえれば森田療法がこの人生の大事に迫る思想の体系に裏づけられて初めて優れた精神医学たりえているということができるのです。



2023.12.29 一世

※東京工業大学教授 渡辺 利夫氏 「不安な時代をどう生きるか。」より抜粋


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森田療法の食い逃げ?

2023年12月28日 01時52分03秒 | コラム 




大阪水曜ほっと集談会一世です。

朝から不謹慎を承知で申し上げたいと思います。

森田療法を食い逃げする人がいます。

恥ずかしながらかつての私です。

10代~20代で森田療法から数多くの恩恵を受けたにもかかわらず、仕事が忙しいとの理由で30代は、ほとんど集談会に参加しませんでした。

そのため40代では、抑鬱やらパニックやらで散々でした。

以下は森田の食い逃げ、あるあるです。

自助グループ活動に1~2年参加して森田療法のことは大体わかったのでこれ以上意味が無いと勝手に判断して集談会にいかない。

世話役を勧められても自分はまだ治っていないからと即座に断る。

散々悩みの相談にのってもらったのに急に音信不通。

年会費がもったいないので会費を払うことを止めるが、毎週飲みにいくのは別。

逆に悩んでいた時期を忘れたかのように、集談会で行動による成果や社会での成功体験を滔々と語り始める。

これらについて善悪で、とやかく言うつもりは全くありません。

また、人のために尽くすことが、森田の本質だとも思いません。

人にはそれぞれ固有の価値観がありますので。

ただ残念で仕方がないのです。

私達が小賢しい悪智で無駄だと切り捨てている中に大きな気づきが隠れている。

例えが違いますが、果物でも私たちが、捨てている皮と実の間の部分にペクチンやポリフェノールなどの栄養があると言われますね。

神経質症状とは、ある意味で効率を求め過ぎた結果起こる心のアイドリング状態ではないでしょうか?

森田を学ぶ本当の喜びや森田博士の言われる自覚は、世話役活動を通じてさらに深まると思うのです。

残念ですが人生も森田療法も、関西風に言えば、えぇとこどりはできないようですね。

※今日の森田博士の言葉

もし単に自分が治ったというだけで、犠牲心が発動せず、自分の打ち明け話が恥ずかしいとか、人に知られては損害になるとかいう風では、まだその人は小我に偏執し、自己中心的であって、本当に神経質が全治しているのではない。




2023.12.28 一世




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急性胃腸炎と自己流森田の危うさ!

2023年12月27日 06時51分10秒 | コラム 


大阪水曜ほっと集談会一世です。

先日から空腹時に胃がキリキリと痛み、何もする気が起こりません。

大好きなブログも書く気力がなく、昨日も半日寝ていました。

自己流判断で市販の漢方薬を飲んでいましたが改善しませんでした。

本日、かかりつけ医に相談して薬をもらってきました。

いつもはすいているのですが、この日は患者であふれていました。

急性胃腸炎が流行しており、例年の3倍だそうです。

冬に多くなるウイルス性胃腸炎、寝る時や外出の時におなかを冷やさないのが大事だそうです。

おなかの温度をさげずに血流を良くする事が有効だと、言われています。

定期的に行っている血液検査の結果も良くなく凹んでしまいました。

考えてみると薬を飲んだり飲まなかったりと自己流で判断していました。

持病も神経質症も自己流の判断は危険であると改めて思いました。

やはり神経質はビクビク、ハラハラしながら、忠告に耳を傾ける謙虚さが、一番その資質を活かせるのではないでしょうか。

森田の学びも自己流の場合、とても時間がかかり、ともすれば違う方向に行ってしまいます。

なかなか自分の状態を客観視することは難しいのです。

森田博士は症状がなかなか、良くならない人に対してあやかるということを言われています。

※今日の森田博士の言葉

あやかるとはうらやましくて、その人のようになりたいと思い、その人の謦咳(けいがい)にでも接することである。

このあやかるの反対は寄せつけないで、排斥することである。

あの人は頭が良いから治った、自分は悪いから治らない。

あの人は治るべきはずであるから、自分は意志薄弱であるから、とかいろいろのヒネクレをこねて、白眼をもって嫉視するようなことである。

こんな人は※縁なき衆生といってなかなか治りにくい人である。



2023.12.27 一世

※縁なき衆生は度し難し(えんなきしゅじょうはどしがたし )とは、仏縁のない者は、すべてに慈悲を垂れる仏でも救えない。
転じて人の忠告を聞き入れようとしない者は救いようがないの意味。
 


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心を込めて花束を!

2023年12月23日 09時41分37秒 | コラム 




大阪水曜ほっと集談会一世です。

昨日職場の若いスタッフが退職することになりました。

短期間の非正規のパート雇用も多く、人の入れ替わりが激しい職場です。

いつの間にか退職していたということが日常的にあります。

今回私が提案して、ささやかながら、有志で花束を渡して見送りました。

今まで心で思っていても恥ずかしくて、あまりそのようなことを自分から提案して実行することが少なかった私です。

今まで職場の誰かがそれをやってくれていましたが、コロナ禍でメンバーが替わり、多忙な職場でそのことを言い出す人間もありませんでした。

森田療法の学びにより、相手の喜びを自分の喜びとしたり、相手の苦しみを自分の苦しみとする見方が少しずつですが、身についてきたのでしょうか。

とらわれている時の私たちは常に自分の気分が中心であり、家庭や職場においても、なかなか相手の気持ちになることが出来ません。

しかしひとたびこれが森田療法によって立ち直ると、細かいことに気が付き相手が喜ぶことにエネルギーを使う事が出来るのです。

結果として、時々相手から温かい言葉や感謝されたりすることも有りますが、もし感謝されなくても満足なのです。

そこにふと小さな心のつながりのようなものを感じるだけで良いと思えるのです。

初心者懇談会でも、自分と同じ無用な苦しみを経験して欲しくないと言う気持ちで取り組んでいますが、森田博士も同じような思いであられたと思う一世です。

※今日の森田博士の言葉

私どもは昔から、このような「ばかになれ」「死を恐れるな」というような言葉のため、にどうしたらその気持ちになり、その心境になり、いわゆる悟られるものであろうかと、いかに工夫し迷い、いかにつまらぬ苦しみ・悩みを経てきたことであろう。

私は過去の私の無益な苦労を思って私の後輩には決してそんなことは教えないようにしようと思うのである。



2023.12.23 一世

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