「大阪水曜ほっと集談会」公式ブログ

12月17日(火)20時~・12月18日14時~(ZOOM)にてリモート集談会&忘年会を開催します

選挙カーと雑念恐怖

2021年10月31日 06時19分01秒 | コラム 

 

大阪水曜ほっと集談会一世です。

今日は、選挙の投開票日ですね。

期日前投票を済ませた私です。

さて本日当選の幸運を得るのは誰でしょうか?

最近※ナターシャ・グジーさんの歌う「秋桜」に心癒されている私です。

選挙カーの喧騒とナターシャ・グジーさんの透き通るような歌声が不思議と同居しています。

10代の頃に雑念恐怖や読書恐怖にとらわれていた日々には考えられないことです。

ある雑念を押さえつけようとすればするほど、それは巨大な壁となって立ちふさがり私を支配していました。

不思議ですね。

ひとつの雑念が消えるとまた違う雑念がわいてくる。

やがてその悪循環から逃れようとして更に深みにはまり生活が停滞していく。

当時は、森田療法の説く精神交互作用異物化のからくりも知りませんでした。

それどころか、自分が神経質の資質を持っていることの自覚さえもありませんでした。

ほんの少しの思い込みが、独断となって行動を制限し日常生活に支障をきたすので怖いです。

今は車を運転していて特に感じるのですが、一つの感覚だけに集中することはとても危険ですね。

目の前の歩行者にだけ気を取られていると対向車に注意が向かない。

そうこうしているうちに、自転車が飛び出してくる。

更に気が付けば信号が赤とこんな具合です。

意識が分散して四方八方に注意が向いている状態が最も安全であると感じる私です。

仮説ですがおそらく古代人類が、猛獣や自然災害から生き延びるために得たこのような知恵が現代人のDNAに刷り込まれたのかもしれません。

危険を察知して、環境に適応していく能力は、たいへん高度な能力と言えるでしょう。

神経質に生まれたことは宝くじに当たるより幸運なことかもしれません。

宝くじに当たったことの無いおまえが言うな!(心の声)


2021・10・31 一世

※ナターシャ・グジー氏

ウクライナ生まれ。
6歳のとき、父親が勤務していたチェルノブイリ原発で爆発事故が 発生し、原発からわずか3.5キロで被曝。
その後、避難生活で各地を転々とし、キエフ市に移住する。
ウクライナの民族楽器バンドゥーラの音色に魅せられ、8歳の頃より音楽学校で専門課程に学ぶ。
1996年・98年救援団体の招きで民族音楽団のメンバーとして2度来日し、全国で救援公演を行う。
2000年より日本語学校で学びながら日本での本格的な音楽活動を開始。
その美しく透明な水晶の歌声と哀愁を帯びたバンドゥーラの可憐な響きは、日本で多くの人々を魅了している。


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生きている私から、生かされている私へ!

2021年10月30日 08時46分51秒 | コラム 

大阪水曜ほっと集談会一世です。

先日夜中に急に心臓がバクバクして今にも死ぬのではないかとパニックになった私です。

久しぶりで忘れていました。

そういえば私はかつて40代でパニック障害に苦しんでいたのです。

真夜中に救急車にもお世話になりました。

単身赴任時にはいつパニックになっても良いように、大学の付属病院の近くに車を停め不安な夜を明かしたことも何度かありました。

当時は、心臓にどれほど負担をかけていたか知る由もありませんでした。

自分の体を労わることもなく過労死ラインを大幅に超え、毎日12時間以上の勤務と休日出勤を繰り返していました。

そして人間関係のストレスを暴飲暴食で誤魔化していた私です。

そのような日々を振りかえり今思うのは、自分が自分がと、生かされているのではなく自分で生きていると思っていました。

このように何かに追い立てられ、生き急ぐこと自体が強迫観念であったような気がします。

効率や生産性を求める社会の仕組みもかなり問題ですが、これに対して無防備に真面目に取り組んでしまう神経質性格にも落とし穴があります。

今まで以上に神経質性格に対する学びと自覚を深めることが大切であると感じています。

パニックの症状から学んだことは、心臓を動かしているのは実は私のようで私ではない。

それが誰なのか私は知らない。

私は私をコントロールできない。

ただ、ただ生かされている私がここにいる。

その事だけは、確かな事実です。

事実唯真その言葉の意味の深さを改めて感じている一世です。


2021・10・30 一世


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くじけないで!

2021年10月29日 11時20分13秒 | コラム 

大阪水曜ほっと集談会一世です。

本日からウオーキングとブログを再開した私です。

しばらくの間、景色が心に入らず、砂を噛んでいるように味覚が麻痺した日々でした。

このような時は、敢えて何もしないことが大切ですね。

これも森田療法に習い自然現象と受け止めているうちに、徐々に感覚が戻ってきました。

今は金木犀の香りに心が癒されます。

さて、このような時には、難しい理論書や小説も読む気が起こらず、テレビも見たくはありません。

今回は、柴田トヨさんの「くじけないで」という詩集を読んでいました。

柴田トヨさんですが、90歳で詩作を始められたそうです。

先日のノーベル物理学賞受賞者の真鍋先生も90歳ですが、すばらしいですね。

コツコツと新聞に投稿し続け、初詩集「くじけないで」が200万部を超えるベストセラーになりました。

そして詩作は101歳の天寿を全うされるまで続きました。

その作品には昭和へのノスタルジーがあふれ、家族への優しさと慈しみに満ちた言葉と共に戦争やいじめなどの世相に斬りこんだ鋭い感性が光ります。

お二人に共通しているのは、絶えざる好奇心と感謝の心を併せ持っておられるところです。

新型コロナウイルスが沈静化したことは良いことですが、経済活動が再開したことで再び効率を求め、心を置き去りにしながら成長や前進が求められる有り様に何かしら違和感を感じている私です。

私たちは、コロナウイルス感染症からいったい何を学んだのでしょうか?

そのようなギスギスとした世の中に柴田トヨさんは、こう静かに語りかけます。

「やさしさのインフルエンザが流行しないかしら」

「思いやりの症状がまんえんすればいい」

皆様にとって毎月の集談会が、優しさと思いやりの感染源になりますように!


2021・10・29 一世

※参照・柴田トヨ氏著・詩集くじけないで・飛鳥新社より


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神経質者は、石にかじりついても生きねばならない。

2021年10月25日 09時26分52秒 | コラム 

大阪水曜ほっと集談会一世です。

365日の内300日は落ち込んでいる私です。(笑)

考えて見ますと随分、こうありたいと、抗って抗って消耗し今は、搾りきった雑巾、出汁の取りつくした出し殻のような気分です。

おまえはそんなに活躍しとらんじゃろ!(心の声)

うるさい、自分なりに頑張ってやってきたんじゃ!

もっと肩の力を抜いて生きたいと思いながら、気が付けば還暦が近づいてきました。

家庭や学校、職場、社会で何かしらこうありたいという理想に燃えていた時期は、それなりにやりがいもありました。

その分、森田先生の言われる思想の矛盾に随分苦しみました

そろそろ競争、比較して生きる事から少しづつ自由になりたいと思います。

これからの人生をどう生きるか考えていた時に森田先生のこの言葉が心に刺さりました。

神経質者は石に噛りついても、生きねばならぬ。

この他に、神経質者の往くべき道はない。

やはり、最後まであたふたと不安のままハラハラ、ドキドキしながら生きるしかない私です。



2021・10・25 一世

 

 

 


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50代と心の叫び

2021年10月22日 08時44分56秒 | コラム 

 

大阪水曜ほっと集談会一世です。

最近日々の生活や集談会の場で50代の心の叫びを感じることがあります。

これは、男性・女性に関係なく共通しているような気がします。

心が軋(きし)んでいるという感じです。

50代は住宅ローンや教育費など経済的負担に加え、親子関係や夫婦間のひずみが最も顕著に表れる時期ではないでしょうか。

サラリーマンで言えば、役職定年やリストラにより給与カットや自分の後輩や部下が上司になる事も日常的です。

自営業やフリーランスの方で言えばコロナ禍で営業停止や売り上げや受注がダウンするなど予期せぬ事態が起こります。

また子供の結婚や独立による空の巣症候群もあるでしょう。

若い頃の無理が体を直撃し思わぬ病を得ることも珍しくありません。

高齢の両親の介護や死別の悲しみも容赦なく襲います。

40代までの体力と気力で乗り切ってきた方法は、もはや通用しません。

かくいう私も、高血圧に耳鳴り、めまいに随分悩まされています。

さて、そのような過酷な時期をどう生きればよいのでしょうか?

作家五木 寛之氏は、このように語りかけます。

私はそんな時、徹底したネガティブ思考でしのいできました。

人生とは苦しみの連続であると覚悟を決めるのです。

なかなか、覚悟を決めかねてふらふらと不安に翻弄されてばかりの一世です。


2021・10・22 一世

※五木寛之氏著・ただ生きていく、それだけで素晴らしい・PHP研究所


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