「大阪水曜ほっと集談会」公式ブログ

3月19日(水)14時~・3月18日(火)20時~(ZOOM)にてリモート集談会を開催します

ちゃんみな現象と多様性疲れ?

2025年01月30日 11時04分28秒 | コラム 


大阪水曜ほっと集談会、一世です。

いきなりですが、昨日のNHK のクローズアップ現代で特集された、

Z世代に人気のアーティスト、ちゃんみなさんに、衝撃を受けました。

その歌の多くは、実体験で怒りや悔しさや病んだ心を歌詞に織り込んで発信されています。

以前私は、傷ついたっていいじゃないかというブログをアップしましたが表現は違いますが、同じ思いを感じていたと思います。

とても共感させられたのは傷つくことや怒りの感情を持つことは自然なことであり、それは反面生きる力にもなり得るのではないかという事実です。

少なくとも私は、自分の神経質性格とそうして向き合いながら生きてきました。

私たちは、多様性に配慮しすぎて無難な人間関係で誤魔化していることもあるのでは、ないでしょうか?

更に行き過ぎた多様性はかえって生きづらさを生むのではないかと感じます。

そのような多様性疲れを感じるのです。

先日自助グループ内で、子供の話や孫の話をするのにも気を遣うという本音を吐露された方がありました。

以前は普通であった会話が今は、出来ない。


多様性を重んじるあまりに、知らず知らずの内に相手に踏み込むことに躊躇している自分を感じるのです。


※今日の森田博士の言葉

あやかるとは、うらましくて、その人のようになりたいと思いその人の謦咳にでも、接することである。

このあやかるの反対は、寄せつけないで排斥することである。

こんな人は縁なき衆生といってなかなか治りにくい人である。




2025.1.30 一世

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生の欲望の完全燃焼!

2025年01月29日 06時53分57秒 | コラム 



大阪水曜ほっと集談会一世です。


昨夜は体調が悪かった。

胸痛のため寝付かれず弱気になった。

そんな中ある訃報が飛び込んできた。

経済アナリストの森永卓郎氏が原発不明がんのため逝去されたのである。

謹んでお悔やみを申し上げたい。


年齢差が五歳下の私にとって少なからずショックである。

残念ながら生前お会いしたことも、講演に伺ったこともない。

氏が2003年に予言された、年収300万時代が現実のものになった。


テレビ画面越しの森永卓郎氏はいつもニコニコしながら、

自分の主張は決して曲げないという印象であった。


森田博士は私たち神経質者には、

よりよく生きたいという生の欲望が強いということを指摘されている。

ただこれは神経質者に限ったものではない。


晩年の森永卓郎氏は、余命宣告を受けたわずか二年間の間に多くの書籍を睡眠時間も惜しんで出版されたと聞いている。


以前にもこのブログで何度もご紹介したが、

私たちの自助グループの顧問であられた、

専門医の河野基樹先生もまた晩年がんによる余命宣告を受けながら、

最後は命を削って森田療法普及のための車椅子での講演活動を続けられた。


ジャンルはまったく違うがお二人とも、

森田博士のいわれる生の欲望を完全燃焼された人生であったと思う一世です。


※今日の森田博士の言葉

死を恐れるのは生きたいためである。

生きんがためにこそ、死をも恐れる。

生きる欲望のないものが、どうして死を恐れたりする必要があるだろうか。




2025.1.29 一世






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努力すれば理解しあえるという幻想!

2025年01月28日 11時16分01秒 | コラム 

大阪水曜ほっと集談会一世です。

本日は昨日の仕事の疲れで、頭が回転しません。

さて人間は、努力すれば必ずわかりあえるという発想が実は、

かくあるべし思考であることを私は、最近頭ではなく、体験的に学びました。

先生は森田博士と、配偶者です。

わかりあえることもあれば、わかりあえないこともあるのが、事実です。

苦節45年です。

もう遅いやろ!!!😂 

そういえば、実家に帰省するときは個別に帰る夫婦が増えているそうです。

新しい夫婦のありかたで、とてもよいと思います。

ところで以前のコロナ禍での私と娘との会話です。

私:我が家はコロナ禍前からソーシャルディスタンスやなぁ

娘:ほんまや、笑う、そのとおりやぁ!

配偶者:あんたと同じ墓には入りたくない!

ある日、突然配偶者にボソッと言われた言葉です。

私はええっと驚いて困ったような顔をしました。

絶対に言いませんがと言いつつ言ってしまいますが、

正直内心では、ほっとしていました。

どっちやねん?😅 

正直墓に入ってまで喧嘩をしたくはありません。

それに我が家の墓は小さいので狭いのです。

死んだら関係ないやろ!😁 

話が脱線し過ぎて、もはや何のブログかわからないので、森田博士に早々に登場していただきます。

※今日の森田博士の言葉

憂鬱や絶望を面白くし、雨を晴天に柳を紅にしようとするのが、

不可能の努力であって、世の中に、これ以上の苦痛なことはない。

人生は腹がへれば食べたく、腹がはれば食べたくない。

いつも食べたく美味でありたいというのが、

思想の迷妄であり、哲学・宗教の邪道であるのである。



2025.1.28 一世

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素直な気持ちになれないときは?

2025年01月27日 05時09分37秒 | コラム 


大阪水曜ほっと集談会一世です。

以前にも投稿しましたが娘が5才の頃でした。

夫婦喧嘩をした私に、「ごめんなさいと言いなさい」といってくれましたが私は言いませんでした。

その後、結果は散々です。



また素直な気持ちになりたいと思いながらついつい上司に逆らい転勤5回の私です。



そんな私には素直について語る資格はないのです。

それでも唯一自助グループ活動の中では、素直な気持ちになっている自分を発見することがあります。

さて今日の言葉ですが書道家の武田双雲さんからいただきました。

私は以前から好きな大河ドラマ「天地人」の題字が、後に武田双雲さんによるものであると聞いて好きになりました。

さらにご自身がADHD(注意欠如・多動症 )よる生きづらさを抱えていたと聞き及び更に好きになりました。

人にはそれぞれ生まれながらにして授けられている気質があります。

それを邪魔者とするのか、才能と見るのか、私たち自身の選択によることを武田双雲さんから学ばせていただきました

無理に素直な自分になろうとしても私には出来ませんでした。

素直でない自分でも受け入れてくれる場所を見つけたことで、結果として以前より素直になった気がします。


※今日の心に響く言葉

例えば病気になったとしても、体を休ませる期間をくれてありがとうとか、

病気を感知するセンサーが働いたことに感謝しよう、

などと思えば感謝がわいてきます。

だからと言って無理してポジティブな感情になれと言っているわけではありません。

物事はあらゆる視点から多面的に見ること。

それがネガティブな感情から離れるための一番の秘策です。



2025.1.27 一世
※武田双雲氏著
※ありがとうの教科書・すばる舎





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正しいことを言うときは、少し控えめのほうがよい!

2025年01月26日 07時18分58秒 | コラム 



大阪水曜ほっと集談会一世です。

最近、朝6時から自分で弁当を作っています。😞 

生活が苦しいのと自業自得から配偶者に作ってもらえないからです。😂 

本日のタイトルは社会派詩人と呼ばれ、若い頃から愛読している吉野弘さんの詩集からいただきました。

最近自助グループ内で尊敬する心優しき人生の先輩から、

子供や孫の話しがしづらいと言う本音を聴きました。

子供や孫のいないことに、傷つく方がいるので配慮しておられるのです。

うーん思わずうなってしまいました。😔 

実は、私も同じ思いを感じていたのです。

このような社会的風潮があるとすれば、何だか嫌だなと思いました。

多様性を強制される逆平等差別のような感覚です。

ところで、私は非正規雇用で家計は火の車です。

ほっといてくれ!

経営者の知人も多いので正直羨ましいですが、

落ち込むことはありません。

それは、別の価値観で生きているからです。

むしろ貧乏を逆手にとって自虐的に楽しんでいます。

またうらやましさをバネにがんばる道も開かれているのです。

そんな私ですが正しいと思われることを言うときは、

出来るだけ控えめに、慎重に言うようにしています。

それは40代でのトラウマ体験があるからです。

過労と正論を吐いたが故に上司と対立し四面楚歌に追い込まれ、

適応障害から抑鬱になったのです。

そのときに本当の抑鬱に悩む人々の気持ちがようやくわかった次第です。

それまでの誤ったイケイケ行動森田にはまっていた私が、

その日を境に、ゆっくり自覚森田にシフトチェンジした瞬間です。

※今日の心に響く言葉(吉野弘氏・祝婚歌より一部抜粋)

正しいことを言うときは
少しひかえめにするほうがいい

正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと
気付いているほうがいい

立派でありたいとか
正しくありたいとかいう
無理な緊張には
色目を使わず

ゆったり ゆたかに
光を浴びているほうがいい



2025.1.26 一世



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