「大阪水曜ほっと集談会」公式ブログ

9月17日(火)20時~・9月18日14時~(ZOOM)にてリモート集談会を開催します

親父と、かくあるべし思考はセットなのか?

2024年07月31日 19時21分46秒 | コラム 


大阪水曜ほっと集談会一世です。

最近、高齢者ほどかくあるべし思考を手放して幸せになろうと精神科医の和田秀樹さんが発信されていた。

100年前からそれを言われていた森田正馬博士はやっぱりすごい!

明治から昭和の初期まで気に入らないことがあると親父がちゃぶ台をひっくり返して怒るようなありえない時代がありました。

親父と、かくあるべし思考はセットであり、牛丼とおしんこのセットぐらい違和感がなかったのです。

いまは、そもそもちゃぶ台がない!

今それをすれば、熟年〇〇どころか即DVで逮捕です。

突然ですが配偶者が、コロナに罹った。

熱もすぐに下がり、元気であるが一応県外の娘に連絡をした。

普段LINEをしても、電話をしても不通か既読スルーである。

美味しいお菓子や高い肉を送った時だけ、返事が来る。

にも関わらず今回はすぐに返事が来た。

返事がきたのはよいが、この娘がうるさい!

アレを買うようにとか、面倒を見るようにとか、とにかくうるさい!

私が最近骨折をして配偶者に迷惑をかけたことを引き合いにして、

いろいろ言うのです。

正直、言われるほど迷惑をかけていません。

以前は親父の小さなプライドがあって娘に反発しあえなく敗退、

その後半年ぐらいは無視をされていた私です。

ありがたいことに還暦以降、怒る元気もなくなり、かくあるべし思考が減ったおかげでかろうじて親子の形が整っています。



2024/07/31 一世



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治ると治らないとの境!

2024年07月29日 16時43分28秒 | コラム 


大阪水曜ほっと集談会一世です。

元々病気ではないという認識が森田療法の基本とされています。

しかし一時的にせよ、今にも死ぬのではないかという不安や激しい気分の落ち込みや身体に表れる痛みを病的と感じるのも事実ですね。

ここではわかりやすくするために、とらわれから抜け出る前と後の状態を治る、治らないと表現していると理解してください。

過去の自分を今振り返るとなぜあんな風に思っていたのかわからないことがあります。

この症状がなければ、勉強に集中して希望の大学に楽々と合格できる。

この症状がなければ対人関係がうまくいき職場で評価される。

この症状がなければ家族関係がうまくいく、とそのように感じていたのです。

はたして原因は症状のせいでしょうか?

むしろ逆なのです。

私の場合受験勉強をしたくないから、苦手な上司や同僚との人間関係と向き合いたくないから症状を作り出していたと言えるかもしれません。

さらにそれが高じて、このままの自分ではダメだ、自分を変えたい、変えなければならないと飛躍し寝ても覚めても、呪文のように唱えていた時期もあります。

自分の本心を欺くための訓練を日々課していたような感じでしょうか?

しかし受験勉強は苦しい、人間関係は複雑で特に利害が絡むと難しいのが当たり前なのです。

そうでなければ、受験に関する書籍や動画があふれたり、毎日仕事帰りに居酒屋に立ち寄る人など無いでしょう!

森田博士はそのあたりの心の状態を的確に、わかりやすく表現されています。


※今日の森田博士の言葉

神経質の症状の治ると治らないとの境は、

苦痛をなくしよう、逃れようとする間は、

10年でも20年でもけっして治らぬが、

苦痛はこれをどうすることもできぬ、

しかたがないと知り分け、往生したときはその日から治るのである 。

すなわち「逃げようとするか」「踏みとどまる」かが 、

治ると治らぬとの境である。




2024/07/29 一世

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生きつくす!

2024年07月28日 08時18分01秒 | コラム 


大阪水曜ほっと集談会一世です。

焼け付くような暑さである。

今日62歳になった。

特別な感慨はないが、

生まれたのではない、生まれさせてもらった、という思いが日々増している。

同様に森田療法に出会ったのではない、出会わせていただいたという思いも増している。

もし私が森田療法に出会っていなかったら、

どんな人生を送っていたのだろうか?

好きな仕事に就いていたのだろうか?

結婚はしていたのだろうか?

子供や孫に恵まれていたのだろうか?

自助グループの信頼できる仲間に出会っていたのだろうか?

さまざまな思いが心をよぎる。

私には、いずれにしてもこの出会いが偶然ではないと言い切れる何かが、心の内にある。

必死に求めていた何か?

私の原点のようなもの!

それは、両親から偶然与えられたこの神経質な性格である自分を、生き尽くしたいという思いではなかっただろうか?

※今日の森田博士の言葉

石に囓りついても生きねばならぬ。

このほかに神経質者の往くべき道はない。



2024/07/28 一世

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人生の伴走者!

2024年07月27日 07時58分38秒 | コラム 


大阪水曜ほっと集談会一世です。

早朝激しい胸痛で目が覚めた。

最近体調が不安定なこともあり、つくづく感じることがある。

それはひとりでできることは限られているということである。

人に頼ったりあやかったりすることはとても大切ではないだろうか。

ふと人生の伴走(ばんそう)者という言葉が、浮かんだ。

伴走(ばんそう)とは マラソンや自転車のロードレースなどで、競技者のそばについて走ることを、言うらしい。

私にとって人生の伴走(ばんそう)者とは森田療法ではなかったかという思いがある。

怒り、悲しみ、孤独、後悔などどうしようもない感情を森田はそのままでよいと常に私に言い続けてくれたような気がする。

それから自助グループでの出会いである。

この苦しみは自分だけだと思うと本当に辛い。

同じような苦しみを背負いながら生きている仲間の存在は、私に少なからず勇気を与えてくれた。

私もまた、知らない誰かのそのような存在になれたらと思いながら、8月6日の森田療法リモートガイダンスセミナーの体験記を書いている。

※今日の心に響く言葉

自分が存在することで他人や世の中をちょっとウキウキさせることができるものと出会える。

そういう機会って絶対訪れます。

「樹木希林120の遺言・宝島社より抜粋」


2024/07/27 一世

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自助グループと心のリハビリ

2024年07月26日 11時39分11秒 | コラム 



大阪水曜ほっと集談会一世です。

今リハビリが終わってご褒美にお気に入りのカフェに来ています。

リハビリの後は、心も身体も柔らかくなっている気がします。



優雅に見えますが午後から戦闘モードで、仕事のため夜中になります。

なので、今ブログをアップします。

4月1日に、左肩の鎖骨骨折をしました。

5月から、リハビリをしています。

リハビリの若い先生が、親切でモチベーションが上がります。

専門医には失礼ですが理学療法士の先生のコミュニケーション能力から学ぶことが多いのです。

端的に言うと患者への目線が違います。

上からなのか、横からなのか?

さて私たち自助グループには、休職中や休学されている若い世代や、中高年の方が時々参加されます。

あらためてこれって心のリハビリだと思いました。

そのように利用していただければうれしいですね。

今月も20代~80代までの男女の皆さんが参加されました。

詳細は触れませんが、将来のこと、家族のこと、仕事のことなど年代を超えて共感することが出来ました。

特に何をアドバイスするわけでもないのですが、何か終わったあと皆さんの表情が柔らかくなっている気がします。

ひたすらがんばることを求められたり、反省を促される場所は、自助グループとは呼びません。

自助グループで講師という言葉が大嫌いです。

体験者とあらためて言い換えるべきですね。

ここでは、すべての参加者が平等でお互いが学び合う場所なのです。

※今日の森田博士の言葉

あらんかぎりの力で生き抜こうとする希望、その希望の閃きこそ「日々是好日」なのである。



2024.7.26 一世


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