「1枚の写真」
新型コロナウイルスで職場の休業要請の間、自宅でかたづけをしていて1枚の写真を見つけた。
小学生の時に4歳年下の弟と新幹線の中で撮った写真だ。
幼いころの弟が、よそ行きの服を着ていて可愛い。
弟とは、同じ小学校・中学校で高校は違ったが同じ地元の公立高校に通った。
そして大学も、関西の私立大学にそれぞれ進学し関西の企業に就職した。
やがて私は20代で転職し、同じ時期に弟から相談があり彼も転職した。
偶然同じ年に結婚し長女は同い年で、共に子供も2人であった。
振り返ると彼はいつも私の後を歩んでいることに気が付いた。
転職後の私は、人間関係が下手で自己主張が強く組織の中で常に浮いていた。
他方弟は、上司からも可愛がられ部下からも慕われ順調に昇進した。
そんな弟が、私には心の中で自慢だった。
しかしながら、彼との別れは3年前に予期せぬ形で突然訪れた。
くも膜下出血と言う病が突然弟を奪い去ったのだ。
パニックで苦しい時夜中に、弟に何度も電話をした。
彼は黙って私の話を聴いてくれた。
私は心が落ち着いた。
そのような優しかった弟に私は何もしてやることが出来なかった。
逆縁(年若いものが先に亡くなること)の苦しみを体験された方は、この悔しさをわかっていただけるのではないか?
森田療法と言う日本独自の精神療法の創始者である、森田 正馬博士もまた、逆縁を経験された方である。
若い頃には弟様を、そして晩年には、たったひとりのお子様であったご長男を亡くされている。
以下「自覚と悟りへの道」p221より抜粋
「私の、現在の気持ちをいえば、たとえ自分は地獄に落ちても、気が狂ってもいいから、ただ子供に会いたいという心でいっぱいです。
つまり私の心は、けっして自分の事に内向的に動いているのではなく、ただ一途に子供の事を思い、子供の事を悲しむだけであります。
それが純情というものでありましょう。」
この一文を50代で弟の病死の直後に読んだとき、森田 博士ではなく同じ神経質を共有する一人の人間としての森田 正馬に出会ったような気がした。
そして文字が霞んで、涙がとまらなかった。
私が何もなすこともなく、だらだらと過ごした1日は、弟が生きようとして叶わなかった1日である。
仕事から疲れて帰ると、写真を見ながら、弟に褒めてもらえた1日であったのか?
自問自答を繰り返している私である。
by 一世(いっせい)