「大阪水曜ほっと集談会」公式ブログ

10月15日(火)20時~・10月16日14時~(ZOOM)にてリモート集談会を開催します

薬はメガネ?

2024年06月28日 07時36分43秒 | コラム 



大阪水曜ほっと集談会一世です。

最近うれしいことに、医療機関やカウンセリングルームからの紹介で私たちの自助グループに参加される方が随分増えました。

喜ばしいことではありますが、反面答えに窮する問題もあります。

ずばり、薬についての質問です。

不安になったときや極端に落ち込んだとき、薬とどのように向き合うのかという切実な質問です。

私たちは医療機関ではありませんので薬を服用すべきか、どのような頻度で服用すべきかについては、必ず主治医と相談の上判断してくださいとコメント致します。

ここで最も気をつけなければいけないことは飲むのが良いのか飲まないのが良いのかの極端な素人判断は危険であり、自分の体験のみでその領域に踏み込んではいけないということです。

そんな折に、自助グループの仲間の会員さんから面白い話を伺いました。

ご本人に許可をいただいたのでお伝えします。

薬はメガネ!

なんのこっちゃと思われるかと思いますが、とても面白い表現だと思います。

文字が見にくいときに自然とメガネをかけるように、もっと柔軟に肩の力を抜いて薬と向き合いませんかというメッセージと私は受け取りました。

私はシニア世代なので当然のごとく老眼鏡をかけて、このブログを毎日書いています。

そのことに対して良いとか悪いとか悩んだり葛藤はありません。

ところが薬に関しては極端に飲みたくないとか、飲まないといけないとの狭間でストレスを感じてきました。

過去に内科や心療内科等で様々な薬を処方され残薬の処理に困った経験から感じることを申し述べます。

薬を服用することで日常生活が普通にこなせるのであれば大いに薬の力を借りるべきでしょう。

メガネや杖と同じです。

ただ自分の体に入れるものなので、当然副作用のリスクが生じます。

体質に合わない薬や多すぎる薬の量については医師任せにしないで副作用や成分について調べたり自分の考えを持つべきだと思うのです。

そのことを質問したり主張して不機嫌になったり高圧的になったりする医師は変えた方が良いと思います。

若き日の森田博士も薬と向き合う体験をされています。

以下森田博士の言葉より

医科大学一年のとき、大学の先生から脚気と神経衰弱であるといわれて一年中薬をのみつづけました。

試験前になって、どうしたことか父から学費を送ってきません。

それで私は大いにふんがいし、おやじにツラあてに薬を飲むことをやめてムリヤリに勉強しました。

その結果は、脚気と神経衰弱はどこえやらなくなってしまい、その上に試験の成績も上出来でした。

後になって考えると、それは脚気でも神経衰弱でもなく、実は神経質だったのです。」

このときの体験こそが後に森田博士が精神療法を創始される原点ともいえる貴重な体験であったと思う一世です。





2024/06/28 一世

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何もしない日があってもよいではないか!

2024年06月26日 20時34分31秒 | コラム 


大阪水曜ほっと集談会一世です。

今日は朝から体調が悪く、何もする気が起こらず一日を何となく過ごしてしまった。

以前はそのような日が嫌いであった。

それでも髪をカットしたり、かかりつけ医に血圧の薬をもらったり銀行や買い物にも行った。

おまけに新生姜の甘辛煮もつくった。

充分ではないか!

日々是好日という禅語がある。

落ち込んでいる日も好日と言えるほど悟ってはいないが、

何もしない生産的でない一日も一日だと思えるようになった。

これも長年森田療法を学んだことによるご褒美かもしれない。

価値判断をしなくなったのである。

生産的だの効率的だの人間の考えることはいつも小賢しい。

いつも目標をぶら下げられて気がつけば還暦である。

いつも何かに追い立てられて、見過ごした風景も多かったに違いない。

時折自助グループ内で症状には、意味がある、不安の背景には欲求があるなどと言われることがある。

果たして症状の本質は、そこにあるのだろうか?

症状もそこまでハードルを上げられては、気の毒である。

落ち込むときは落ち込むしかない、気になることは気になる。

意味があるか無いかは知らないが、

そんな日があってもよいではないか!

時には立ち止まって深呼吸しながら飲む缶珈琲に幸せを感じるだけでもよいのではないか!

以上は還暦を過ぎた親父の独り言である。

そんな私の思いとは裏腹に夕焼けがとても美しかった。




2024/06/26 一世

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森田博士の言われる、治るとは?

2024年06月25日 11時47分02秒 | コラム 


大阪水曜ほっと集談会一世です。

おはようございます。

ここのところ仕事が忙しく腰痛がひどいので、パソコンに座れず長い文章が書けません。

ブログをお休みしていても過去の800近い投稿の中からご覧いただき感謝の気持ちでいっぱいです。😍 

その時々の体調に応じてこれからも無理なく投稿させていただきます。

よろしくお願い致します。😀 

しばらく森田正馬全集五巻より、森田博士の言葉を少しずつ紹介したいと思います。


神経質が、不眠なり強迫観念なりを治したい、苦しいことが楽になりたい。

それは当然のことである。

しかし一度これは病気でないから、治すべきはずのものではないという事を知れば、これを度外視して、普通の人のように働く。

その内に、仕事に心を奪われて、治そうとすることを忘れる。

そうして治るのである。「森田正馬全集第五巻」P184


仕事を家事や趣味に置き換えてもよいと思います。

治すことを忘れるという表現がもっともぴったりのような気がします。




2024/06/25 一世



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落ち込んでいる時の方が人間的?

2024年06月22日 07時46分01秒 | コラム 


大阪水曜ほっと集談会一世です。

今更ですが、日頃から森田神経質と呼ばれる気質の私たちにとって、

単純にとらわれたり、悩んだりしなくなることが本当の解決だろうかという疑問がありました。

そのような気持ちで参加した先日のリモートミーティングで、ある会員のかたの発言に心から賛同しました。

ご本人から了承を得ましたのでご紹介致します。

ご家族から、落ち込んでいる時のあなたの方が人間的と言われましたとの発言です。

ちなみに私にそのことを教えてくださった会員の方は、

過去に様々な不安に苦しみながらも起業して経営者になられた方です。

自分が長年黒字経営を続けていられるのは、森田神経質のおかげですと公言されているのです。

恥ずかしながら、私も同じことを過去にもっと厳しい言葉で家族に言われたことがあるのです。

曰く、あなたは変わってしまった!!!

30代でのことです。

10代で森田療法を知り、20代でかなり元気になり、当時の私は、体力もあり、俺は何でも出来ると過信していました。

落ち込んでいた時に覆い隠されていた強い自我がむき出しになり、随分自分本位の考え方をするようになったのです。

自助グループ活動の中で、当時の私と同じように森田療法により苦しみから立ち直り生活が前向き、行動的になった人たちを随分見てきました。

それはそれで喜ばしいことですが、同時に本来神経質者の持っている、より良く生きたいという欲望が多方面に広がり過ぎて、

無自覚に人への押しつけになっていることも感じるのです。

残念ですがその人の良さが失われてしまったと寂しく感じることもあります。

毎月自助グループに参加し続けることは、

そのような偏りを生じている自分を微妙に軌道修正し、

再発を防止したり、本当の意味での自覚を得るために必要だと思うのです。

今心の問題で悩んだり、とらわれて苦しんでいる若い会員の皆さんに申し上げたいことがあります。

サラリーマン生活だけが人生ではありません。

神経質を武器に自分の個性や誠実さを発揮して小さなことからでも良いので起業される道もあるのです。

商工会議所等のサポートにより、子育てをしながら起業している若いママさん経営者もあります。

地方には若い人材を必要としている、町興しプロジェクトも増えています。

私が住宅ローンや教育費を抱え、

苦しみながら定年までサラリーマン生活を続けてしまったことの是非は別にして、

人生にはさまざまな選択肢があることを知ってほしいのです。





2024/06/22 一世

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ぱさぱさにかわいてゆく心と雨の潤い!

2024年06月21日 08時30分35秒 | コラム 


大阪水曜ほっと集談会一世です。

今朝の私の地域は雨模様です。

大谷翔平選手が朝からホームランを打っても、どうしても心が上がらない朝です。

日々忙しい生活が続きますと心に潤いがなくなることを感じます。

そんな日に降る雨は、何か心の落ち着きを取り戻すよい機会になります。

晴天ばかり続きますとそれはそれでつらい日々です。

雨が降ると幼い頃に長靴をはいて、若き日の母と存命だった小さな弟と歩いていたなにげない光景を時折思い出します。

あの頃から私と弟の人生は、決まっていたのでしょうか?

そうだとすればもう少し優しい兄でありたかった。

今日は森田博士の言葉ではなく茨木のり子さんの詩を皆さんにお届けしたいと思います。

心が折れて自分に言い訳をしたくなった私に、もう少しだけ、がんばろうかと思わせてくれる詩です。





自分の感受性くらい
 
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
 
気難かしくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
 
苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
 
初心消えかかるのを
暮しのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった
 
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
 
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ




2024/06/21 一世

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