「大阪水曜ほっと集談会」公式ブログ

11月19日(火)20時~・11月20日14時~(ZOOM)にてリモート集談会を開催します

真面目そうで実は矛盾だらけの神経質!

2021年11月29日 22時00分33秒 | コラム 

大阪水曜ほっと集談会一世です。

昨夜、会社で作業中に転倒して顔面強打した私です。

かなりの出血と深い傷とヒリヒリする痛み。

あいにく日曜日で、休日診療をしている病院に行きました。

傷と血だらけの私に、一言!

どうされましたか?

見たらわかるやろ!

担当医が不在で、応急処置のみでした。

朝起きて超びっくり、ただでさえ大きな顔が、腫れあがり見るも無残な姿になりました。

これは一体誰やねん!

こんな感じです。

病院に行くと、脳のCT検査から眼底出血の眼の検査まで検査のフルコースでした。

朝8時半から何と2時まで缶詰状態でした。

全治2週間の診断ですが、おそらく傷が残るでしょう!

俳優ではないので、整形もしません。(笑)

この事故の原因が本当に笑えます。

トラックの荷台から積み下ろし作業中に、少年のごとく飛び降りたのです。

残念ながら少年の頃の私ではなく、動きの鈍いオジサンでした。

飛び降りて着地までは良かったのですが、勢い余って前のめりになり顔から転倒しました。

顔がいたくて、消毒液に悲鳴を上げている私です。

普段は、血圧ばかり気にしていて小心なくせにこのような馬鹿げたことを平気でやる自己矛盾に気が付かない。

自業自得ですが、神経質にも色々あって私のような人間もおりますので笑ってください。

ところで私が、10代の頃、最も影響を受けたのは、実は森田先生ではなくて、門弟の水谷啓二先生でした。

自覚と悟りへの道の冒頭に水谷先生の「ある強迫観念者の告白」という体験記が掲載されています。

私はこの体験記に、心から共感し夜が更けるのも忘れて読み耽りました。

いまのように、ネットですぐに検索できる時代ではありませんでした。

それゆえに自分で書店でこの書を見つけて読んだ感動は、私の心の宝物です。

以下先生の体験記より抜粋です。

そして一方では、発作的に命がけのことをやるかと思えば、一方では身体の少しの異常も気にし、少しの熱感があると自分で体温や脈をはかってみたりした。

すべてが矛盾だらけであり、しかも自分ではその矛盾に気がつかなかったのである。

青年時代の私の行動がきわめてぎこちなく、外目に滑稽であるのは、環境というものを無視して自己流の理論や理想から自分の行動を割り出していったからである。

手っ取り早くいえば、私は現代の※ドン・キホーテであったわけだ。

ああ、あの頃の感動が蘇ります。

顔が痛いけれど、還暦前に再び水谷先生の言葉を味わうことができて、私は幸せです。

しかしやっぱり顔が痛い。(泣)


2021・11・29 一世 

※若い皆様ディスカウントストアではございません、ややこしい時代やな!

※スペインの作家ミゲル・デ・セルバンテスの小説。 騎士道物語の読み過ぎで現実と物語の区別がつかなくなった郷士(アロンソ・キハーノ)が、自らを遍歴の騎士と任じ、「ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ」 と名乗って冒険の旅に出かける物語である。

 


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不条理を生きる。

2021年11月28日 05時13分37秒 | コラム 

大阪水曜ほっと集談会一世です。

只今午前5時、外はまだ真っ暗です。

最近血圧にとらわれていた私ですが、症状が少し落ち着いて参りました。

そういえば、4年前にも似たような症状がありました。

それは私がこの大阪水曜ほっと集談会のブログの投稿を本格的に始めた時期とも重なります。

当時、大阪水曜ほっと集談会の事をもっと告知したいという強い思いがありました。

しかしそれ以上にあの頃の私は書くことでしか、自分を維持できなかったというのが本音です。

当時4歳下の弟が51歳で急逝して、その失意を何とか森田療法の感情の法則を唱えながら乗り越えようとしていた時期です。

初めて書いたのが、弟とアンパンマンというブログでした。

今から思いますと乗り越えるなど不遜であり、只々そこに心を委ねるしかなかったと感じています。

あの頃は職場の人間関係も最悪であり、絶えずめまいと耳鳴りに苦しめられておりました。

追い打ちを掛けるように、小さな行き違いから集談会の運営が行き詰まり一人でも続けると覚悟を決めた時期でもありました。

そのときほど生きていく上での、※不条理を感じたことはありません。

※人生に何の意義も見いだせない人間存在の絶望的状況。

その後も色々なことがありましたが、当時のことを考えますと苦しみの範疇には入りません。

一切皆苦という言葉があります。

全て、物事は思うようにならないという意味のようです。

考えてみますと、ひとは自分の意思とは無関係にある日突然、おぎゃと生まれさせられ、定命が尽きるまで人生の旅を余儀なくされます。

人間の存在そのものが、不条理であり不確かなものと言えるかもしれません。

森田先生は、不条理や不安に対して抗う心をこう述べられています。

人為的な工夫によって、望むように自己を支配しようとすることは、思うままにサイコロの目を出し、鴨川の水を上流に流そうとするものである。

思うとおりにならないで、いたずらに煩悶を増し、力及ばないで、苦痛に耐えなくなるのは当然のことである。


2021・11・28 一世


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捨てることによる自由

2021年11月27日 07時40分24秒 | コラム 

大阪水曜ほっと集談会一世です。

先日スマホの機種変更をしました。

なぜこんなに高額なのか?

おまけに機能がわからない。

便利さと引き換えに不自由を手に入れた感じがしています。

最近、地位も名誉もお金も捨てたいと思っている一世です。

初めから全部無いやろ!

失礼しました。

本当に捨てたいものは、人に良く思われたいという感情です。

神経質性格は、世間的に真面目と評されることが多いですね。

私自身は、真面目というより関西風に申しますと単なる「ええかっこしい」ですね。

いわゆる体裁を取り繕う傾向が強い。

常に相手がどう思うかを勝手に先取りし、求められてもいないのに損な役割りを引き受け、自己満足に陥っていた私です。

結果としてそのような抑圧が積もりに積もって、どうしようもない鬱的感情に支配されてきたと感じています。

世間で言われる良い人とはつまるところ、自分たちにとって都合の良い人のことではないでしょうか!

日本人に多いとされる※メランコリー親和型と呼ばれる気質は、確かに美徳といえるかもしれません。

※秩序やルールに忠実であり、非常に献身的であり、頼まれると嫌と言えない、真面目、仕事熱心である、責任感が強いなどの特徴がある。

しかし本当の感情に蓋をしているうちに、生き生きとした感覚が失われ、心が乾いていくのを感じます。

以前にも投稿しましたが、あらためて詩人茨木のり子氏の「自分の感受性くらい」の一節を読み返したいと思います。

自分の感受性ぐらい

自分で守れ

ばかものよ


2021・11・27 一世

※参照 茨木のり子氏著詩集より「自分の感受性くらい」


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100か0かの極端な神経質性格!

2021年11月24日 10時32分25秒 | コラム 

 

大阪水曜ほっと集談会一世です。

昨日は、勤労感謝の日でしたが、朝から普段通りに仕事の私でした。

きっちり会社で夕方まで働いていましたが、ふと祭日であると気が付きました。

どこが勤労感謝ねん!

責任者出てこい!

血圧が上がるので、怒りはこれくらいにしておきます。

さて、今からお話しすることは、とらわれの最中のエピソードです。

20代の頃、胃が痛い日々が続いていました。

ある日ふと「胃がんではないか?」と思いました。

やがて、そのふとした疑問がやがて根拠のない確信に変わり病院へ行きました。

普通であれば食べすぎ、飲みすぎによる不調ぐらいかとやり過ごす症状です。

ところがいったんとらわれ始めると雪だるま式に不安が押し寄せて制御できなくなるのです。

この不安に圧倒され極端な行動から更に不安に翻弄されるのが、とらわれの実態ですね。

受診すると当然病院も商売ですから、必ず検査になります。

胃カメラ検査の負担は現在かなり軽減されていますが35年ほど前は今と違いまだ相当に苦しかったです。

赤ランプの点滅した手術室のようなところに連れていかれてかなり強引な検査でした。

正直終わったころは、苦しさのあまり涙が出ました。

あれから何回か胃カメラの検査もしましたが、完全にトラウマです。

数年に一度、健康不安のとらわれに陥り検査と服薬を繰り返してきましたが、ほとんどはメンタルの不調から生じる自律神経の乱れが原因でした。

医師に、CTも被ばく量を考えると、あまりむやみやたらと受けない方が良いと言われたこともありました。

このとらわれの対象が、人間関係に向けられますと疎外感が増し自分が無視されている、自分は不要な人間である、従って職場を辞めなければならないという極端な発想になる事もあります。

そのような時程、踏みとどまって自分を客観視する時間が必要なのです。

とらわれの最中や、抑鬱状態の時に退職や離婚など重大な決定をしてはいけないと言われるのはそのためです。

冷静に後で考えますとトンネルビジョンと呼ばれる視野狭窄に陥っていたと理解できるのですが、とらわれの最中にはそのような余裕がありません。

100か0かの思考パターンは、時に危険であり命の危機にさらされることもあります。

そのような時に何らかのサポートを受けることはとても重要です。

ダメだと思ったときには、医療機関の受診は当然ですが、とにかく信頼できる家族や友人や集談会の仲間に相談しましょう!

そのような友人、知人がいない場合は命の電話や行政が行っているLINE相談などもありますので迷わず活用しましょう!

緊急事態宣言も解除で、職場の人出不足が深刻です。

ギスギスした人間関係から神経質性格の如何を問わずメンタルを病む人が増えることを危惧している一世です。


2021・11・24 一世


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超低空飛行でも墜落しない神経質の力!

2021年11月23日 08時59分14秒 | コラム 

大阪水曜ほっと集談会一世です。

緊急事態が解除されたとはいえコロナ禍の影響は大きく、経済活動の再開に伴い今度は人手不足で忙しい日々の私です。

最後まで厳しいサラリーマン生活をどう生き抜くのか模索は続いています。

そんな日々血圧の薬とビールを交互に飲んで、何とか会社に行っている私です。

中途半端やな!

どっちかにしろ!

どちらか一つに出来ないのです。

健康でありたい、しかし酒も飲みたい、この精神の拮抗作用が生きるエネルギーを生むのです。

私は真剣に言いたいのです。

清濁併せ飲むことを馬鹿にしてはいけません。

時間がかかりますが汚れた世相でも、ギスギスした人間関係も濾過する能力が神経質にはあると信じている一世です。

生きていると辛いこともある。

予想しないことに出会いパニックになる事もある。

それも人生!

筋書きのわからないドラマほど面白い。

着地点は、誰にも分らない。

超低苦飛行でも良いではないか!

大切なことは、飛び続けること!

この一見相反するように見える精神の拮抗作用について森田先生は、とても詩的な表現をされていますね。

「恋人に近づきたい、逃げ隠れたい。

逃げれば胸がわくわくし、近づけば心臓が高鳴る。

この逃げたい、近づきたいという二つの相対立した心を、私は精神の拮抗作用もしくが調節作用と名づけている。

この心が強くて、大きいほど、精神の働きが盛んである。」

 

それにしても、血圧を下げる良い方法があれば教えてください。トホホ


2021・11・23 一世

 

 

 

 


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