神経質が不眠なり強迫観念なりを治したい、苦しいことが楽になりたい。
それは、当然の事である。
しかし一度これは病気でないから、治すべきはずのものでなということを知れば、これを度外視して、普通の人のように働く。
そのうちに、仕事に心を奪われて、治そうとすることを忘れる。
そうして治るのである。
「森田正馬全集 第五巻 形外会の記録より」
大阪水曜ほっと集談会一世です。
今年最後の大阪水曜ほっと集談会ブログです。
この大阪水曜ほっと集談会ブログをご覧いただいております皆様どうぞ良い年をお迎えください。
さて世界で唯一治すことを目的にしない精神療法が私たちの学んでいる森田療法であると聴いた。
しかしながら治したいのが、人情ではなかろうか?
以下は私の心の中のつぶやきである。
もし治ったら私は何をしたいのか?
それを今からできる範囲でやろうじゃないか!
完全を求めないでも良いではないか!
完全とは何か?
完全なものが共感や感動を与えるのか?
人間そのものが不完全な存在。
自分の短所と他人の長所を比べている。
なぜそこまでして治そうとするのか?
世間基準に合わせるため?
人により評価してもらいたいが為?
評価を得てどうするのか?
私が私を評価できればそれでよいではないか?
頑張っている自分もさぼっている自分も私が一番知っている。
つぶやきは、永遠に続く。
来年もどうぞよろしく願いいたします。
2020・12・31 一世