「大阪水曜ほっと集談会」公式ブログ

3月19日(水)14時~・3月18日(火)20時~(ZOOM)にてリモート集談会を開催します

復習するは我にあり!

2023年01月31日 11時37分53秒 | コラム 



大阪水曜ほっと集談会一世です。

今日は少し真面目な投稿です。

怒りの感情についての私の独断と偏見です。

昨日はブッダ(釈迦)の言葉を引用したお話でしたが本日はキリストの言葉を引用して投稿します。

興味がわけば音楽でも文学でも宗教書でも脳科学でも手あたり次第読んだりYOUTUBEを視聴している私です。

森田の話と違うんかいと言われそうですが森田博士は医学者、科学者のみならず様々な宗教家や故事や文学者の言葉を引用しわかりやすく森田人間学を私たちに伝えておられますね。

森田療法を知る上で、その成り立ちを様々な分野から検証することはとても重要だと考えます。

以前大阪で、僧侶・牧師・外科医・看護師の皆さんとあるテーマについて話し合う機会がありました。

同じテーマでも立場により解釈が異なることがよくわかりました。

ところで過去に知り合いの牧師に聖書に書かれている復習するは我にあり!とはどういう意味かと質問したことがあります。

彼は私の質問に答えてくれず一言、一世さんこれはとても難しい言葉ですと言いました。

一般的には「仇を受けても自分で復讐するな、 それは我(神)にまかせよ」 という意味らしいのですがよくわかりません。

さて長いサラリーマン生活の中で清濁併せのむことを要求されることが度々ありました。

黒いものでも白とする理不尽さへの怒りや辛さは人並み以上に経験してきたと思います。

その怒りを生きるエネルギーに転化してきた部分もあります。

そのような日々の中で復習するは我にありを森田的にとらえると、とてもわかりやすいのです。

森田の感情の法則には、こう記されています。

感情は、その刺激が継続して起こるとき、注意をこれに集中するときに、ますます強くなるのである。

不愉快な感情もそのまま感じながら、必要な行動をしていくとき、感情は自然に流れ去り、行動したという事実だけが残ります。

怒りの感情そのままで言葉を発したり、行動に及ぶと怒りの感情に翻弄され、より人間関係に軋轢が生まれ無用の対立を生みます。

これは職場だけではなく趣味や自助グループにおいても同様です。

現実として社会的な地位や立場を振りかざし高圧的な態度で自分の欲求満たそうとする人間がもてはやされることがあります。

しかし長い目で見ると淘汰された事例も数多く見てきました。

そのような他者への攻撃や妨害を繰り返す人間とできるだけ関わらないこと。

怒りを怒りで返さない。

できるだけ自分の立場と相手の立場の両方をイメージすること。

微笑みや巧みな言葉に隠された偽善を見抜く力を森田は与えてくれたような気がします。

今日はご批判を覚悟で少し硬いお話になりました。



2023.1.31 一世

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自灯明森田灯明!

2023年01月30日 07時37分39秒 | 集談会日記


大阪水曜ほっと集談会一世です。

定年で非正規社員になり安堵したのもつかの間、深刻な人手不足と社員の残業カットを補うため社員以上にあくせく働いている私です。

定年後は豪華クルージング船に乗り世界一周しながら毎日美食とビールを飲みながら好きなミュージカルや音楽三昧のはずでした。

これ私の妄想癖ですね。(笑)

何でやねん!

人生は思うようにいきませんね。

このような理不尽は至る所にあふれています。

ところで森田博士は事あるごとに禅や仏教の言葉を引用されていますね。

その影響もあり色々調べてみると簡潔でありながら本当に奥深い言葉が多いです。

ちなみに禅と仏教は違うようですね。

知らんけど!

仏教の開祖ブッダも神経質であったという森田先生の記述には思わず目が点になってしまいました。

聞いてないよと、お釈迦様もお浄土でさぞかしびっくりされているのではないでしょうか?(笑)

ところで仏教の教えの中には、自灯明(じとうみょう)、法灯明(ほうとうみょう)ということばがあります。

 自らをともしびとする。 

自らをよりどころとする。 

と同時に、仏法の教えもよりどころとし、ともしびとしなさいという教えだそうです。

私はこれを自灯明森田灯明と置き換えています。

自分を頼りに生きるのは当然ですが、神経質者の場合森田療法の教えも心のよりどころとして生活する。

森田博士は何でもかんでも森田に従うことは盲従であるというふうに言われています。

30代の時、俺は元気になった、何でもできると過信して森田の学びを怠り40代でパニックと適応障害に陥った私です。

老婆心から皆様くれぐれも傘は忘れても自灯明森田灯明をお忘れなく!



2023.1.30 一世



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とりあえず今日一日を生きてみる。

2023年01月29日 07時48分48秒 | コラム 


大阪水曜ほっと集談会一世です。

朝から元気のない話で失礼します。

年間365日の内300日は落ち込んでいる私です。

さて相変わらず厳しい寒さが続いていますね。

朝起きるのがつらくなかなか5時起床も計画倒れです。

寒波の影響は体だけではなく心の不調にもつながります。

皆様ご自愛ください。

昨日は仕事が朝から忙しく帰宅してすぐに全国の初心者懇談会を運営する皆さんとZOOMで交流させていただきました。

早いものでとりあえずやってみようと始めたリモート初心者懇談会も今年の7月で3年目がスタートします。

ところで私はとりあえずという言葉が好きです。

学生時代無理な学習計画を立て神経質性格特有の完全欲から身動きが取れなくなったトラウマがあります。

主に人間関係のもつれから職場に行きたくないという日々が長くありました。

いまでもあまり変わりませんが。(笑)

そのような時はとりあえず靴下を履く。

とりあえず歯を磨く。

とりあえず着替える。

これらの行動により何度も適応障がいによる深い落ち込みを経験しながらも生活を維持してきました。

さて世間虚仮という言葉があります。

森田用語ではありません。

この世にある物事はすべて仮の物であるという意味だそうです。

私には最後まで縁のなかった旧壱萬円札に描かれた聖徳太子の言葉といわれています。

とりあえず世間虚仮このふたつは妙につながっていると感じる私です。

今からとりあえず職場に行ってきます。

今日の森田博士の言葉

苦しいことは誰も苦しいというのを平等観といいます。

ただ自分一人が、特別に苦しくて、他の人はみな平気であるというふうに考えるのを差別観といいます。

神経質は自己中心のために、なかなかこの平等観の修養ができにくいのであります。



2023.1.29 一世

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再び問う森田は理論なのか!

2023年01月27日 18時03分41秒 | コラム 


大阪水曜ほっと集談会一世です。

ちょうど1年前誤解を承知で森田は理論なのかというブログを投稿させていただきました。

言葉にとらわれるつもりはありませんが、今もその思いは変わっていません。

私にとっての森田はやはり理論ではなく療法なのです。

私が入会当時の40年前の発見会は、学習体系が今ほど明確ではなく発見誌が唯一の情報源であり、森田先生の著書がそのまま読まれていました。

少なくとも私はそうでした。

集談会運営も手探りで老いも若きも横一列の体験交流中心の側面もありました。

学習運動が盛んになるにつれて学ぶ環境は当時と比較できないほど整いました。

半面例えば初めて参加された方に、症状のみを切り取ってあなたはいきなり森田理論ではこうですと言ってしまう危うさも感じました。

理論➡行動➡恐怖突入➡森田このような誤解が生じるのはなぜであろうかと私なりに考えていました。

再び語りたいと思います。

森田療法の神髄はあるがままと呼ばれていますね。

私たちは自らの意思の力すなわち自力で克服しようとして行き詰まったのではないでしょうか?

まだ懲りずに理論的に森田理論を使い克服しようとするのでしょうか?

森田先生が度々言われている、自然に服従し境遇に従順ということの本当の意味は何でしょうか?

誤解を承知で申しますと理論という言葉の響きには自然界の法則と違い人間が作った便宜上の産物と言う気がしている私です!

森田療法の療にはいやしの意味があります。

かつて若いころ私にとっての善智識であられた発見会元顧問河野基樹医師から私が学んだのは理論という認識ではなかった。

それは理論と癒しを併せ持った療法としての血の通った森田であったと思うのです。

晩年不治の病を押して車椅子で講話をされ伝えようとされたものは何であったのか?

そこには自らが神経質性格にとことん悩まれた経験から神経質者もしくは神経質そのものへの尊厳があったと思うのです。

様々な理論が至る所にあふれている今日、若い世代が求めているのは本当に理論としての森田なのでしょうか?

彼らから理論を学んで行動してがんばれがんばれと言われ続けたことによる悲鳴のようなものを感じるのです。

なぜ今、マインドフルネスやTARIKIやネガティブケイパビリティという東洋的な発想が逆輸入なような形で人々の心をとらえるのでしょうか?

これは理論に疲れた現代人のため息のような現象であるという気がしている一世です。

河野基樹医師の年齢を超えた私は、生涯河野医師の貫かれた人のため尽くすという姿勢から学び続けたいと思っています。



2023.1.27 一世

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スーパー銭湯と潜在意識!

2023年01月27日 08時01分44秒 | コラム 


大阪水曜ほっと集談会一世です。

この神経質性格に特化して投稿した森田もどきのわけのわからんコラムもまもなく500回をこえます。

久しぶりにUU(訪問者)が100を超えびっくりしています。

過去のブログもご覧いただき誠にありがとうございます。

さて昨日あまりの寒さと体調が少し回復したのでスーパー銭湯に行きました。

すると男性3人連れのこのよう会話が耳に入ってきました。

昨日の雪はすごかったな、こんな日に運転する奴は馬鹿だ!

いかにも運転免許を返納された風の後期高齢者の男性でした。


馬鹿で悪かったな!

誰がすき好んで6時間も運転するか!

元々の馬鹿だが、好きで運転しているわけではない!

と言いたいところを血圧が上がるので、ぐっと堪えて湯船でひたすら温まっていました。

早々にスーパー銭湯を後にして美味しいランチを食べに行きました。

今回は怒りの二次災害は免れました。

ところがこれが職場の場合、嫌な人間でも毎日顔を合わせねばなりません。

挨拶しても返事もしない人間や、理由もなく攻撃的な人間など一般社会には捨てるほどいますね。

森田博士は人の好き嫌いについてこのように述べられています。

われわれは誰でも、人に対して、非常に好き嫌いがある。

一般にいえば、自分に利益幸福を与えてくれるものは好きで、自分に害をおよぼすものは嫌いです。

なおそのほかに、われわれは「毛嫌い」というものがある。

これは自分には、直接気がつかないで、いわゆる潜在意識で、自分の既往の経験から、さまざまな連想によって起こるものである。

あるがままを説く森田博士には珍しく過去の経験からわきおこる潜在意識について触れられています。

潜在意識や無意識については全くの無知な私です。

森田博士は憶測ですが、同じ時代を生きたユングの無意識や当時主流のフロイトの精神分析は当然で、さらに大乗仏教の阿頼耶識についても精通されていたのではないかと想像します。

「食べ物の好き嫌いはダメよ」とお母さんが子供に言いますね。

森田博士は人間関係の好き嫌いについて、好きは好き、憎いは憎いでそのまま交際しておけばよい。

当たらず触らず会釈笑いでもしておけば良いと言われています。

なぜこの人は私を嫌うのか?

この嫌いな人間を好きにならねばならない。

ここに地獄の苦しみが生じるのですね。

最近嫌な職場の人間関係の半分は、潜在意識に押し付けて、半分は会釈笑いでもして少し誤魔化している一世です。

ああ、それでもスーパー銭湯のおじいさんには腹が立つ!



2023.1.27 一世

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