大阪水曜ほっと集談会一世です。
森田療法を心の拠り所に生きてきた私です。
初期のころは、かくあるべしの呪縛から解放され、自由に行動ができるようになった喜びと、このような悩みは自分だけではなかったという安堵感に包まれていました。
やがて転職により土日が休めなくなり実生活が多忙になったことを言い訳にして、集談会から離れ森田関連の図書や発見誌を全く読まない時期もありました。
どこか集談会というシェルターから飛び出して自分を存分に試したいという不遜な思いもありました。
当然のごとく過労と社会の不条理にぶつかり悪戦苦闘の日々と仕方なしの生活が永く続きました。
最近になっても、相変わらず心配性で取り越し苦労である私であることには変わりはありません。
しかしながら他人と自分を遮る見えないアクリル板が小さくなった気がしています。
おこがましいですが、これを私は平等観の発露と呼んでいます。
もちろんこれはあるがままと同じで永続性のあるものではありません。
その瞬間、瞬間にふと感じる心の襞なのです。
元々幼弱性が強く、その克服を諦めそのまま生きることを選択した私です。
更に具体的に生活がどのように変わったのでしょうか?
ひとつは、料理、洗濯、ゴミ出し、風呂掃除など手伝うのではなくて何でも自分の事としてやってみる。
そしてその中で生じる疑問や興味を楽しむ自分がいます。
出来た自分を自分で褒める。
家族も含めた他者に求めることを減らすことで随分ストレスが減り、自分もできるという自信にもつながりました。
娘にも孫にも必要以上には干渉しません。
今までこれほど五月の新緑が美しく感じられる日々はありませんでした。
そしてもうひとつは、雨になるとほっとするのです。
以前は憂鬱の対象でしかありませんでした。
晴れの日ばかりでもしんどい。
森田療法で説かれるところの両面観は人間の感情に留まらず自然界そのものの営みです。森田博士は、様々な著述の中で努力即幸福など一見相反する言葉を重ねて使われています。
森田博士の説かれる両面観がもっとも如実に表れているのがこの「即」という文字です。
煩悩即解脱などあらゆる場面にこの即が登場します。
この即に関してすばらしい表現を見つけました。
愛読している帚木蓬生氏の「生きる力・森田正馬の15の提言」から一部抜粋して紹介します。
※生きていく人の姿を幸か不幸かで概念分けしたとたん、本来の生の輝きが失われてしまいます。
※こうした幸不幸の二分法から意識と行動を解き放してくれる言葉がまさしく「即」なのです。
※森田正馬は、この「即」を頓用しました。
※浅い知恵でニセの二分法に惑わされている人の心に活を入れたのです。
本来の生の輝きという言葉が五月の新緑に妙に重なる気がした一世です。
2022・5・31 一世
※生きる力 森田正馬の15の提言
・著者 帚木蓬生氏
・朝日新聞出版