大阪水曜ほっと集談会一世です。
とらわれのメカニズムを知ることもなく、いきなり社会という荒海の中に放り出された一槽の小舟。
時に激しく揺れ動き、なすすべもなく、もがき苦しんだ10代の日々。
それが当時の私であった。
そこに神がかり的に森田療法という人生の羅針盤が与えられた。
私にとって安心して停泊できる港、それが集談会であった。
そこからが私の本当の人生のスタートであった。
ある意味私は、森田療法によって新たな命を与えられたと思っている。
かつて尊敬する発見会の先輩会員に言われた言葉が心に沁みる。
一世さんも必ず変化する時が来ます。
それは確かに真実であった。
社会的に成功したとか、地位を得られたとか、お金がもうかったと言う話ではない。
ふとした瞬間に得られる何ともいえない満ち足りた感情である。
それは安堵であり癒しであり、自分と他者の命へのリスペクトであった。
眼に見える変化は、還暦を前にして心の問題を吐露できる友人、知人がたくさん出来たことである。
集談会の仲間は当然であるが、一般社会でも私を受け入れ、私の言葉に心を傾けてくれる友人が出来た。
かつて友人がいない孤独な少年、青年であった私。
当時最も私が得たかったものが、今ここにある。
私の努力とは無関係にいつのまにか孫が生まれ、神経質のDNAは、確かに受け継がれた。
これ以上何を望むことがあろう!
すべては、あの日、あの場所で集談会の扉を勇気をもって叩いたことが全ての始まりであった。
私は今その幸運をしずかに噛みしめている。
2022.4.30 一世