「大阪水曜ほっと集談会」公式ブログ

11月19日(火)20時~・11月20日14時~(ZOOM)にてリモート集談会を開催します

生の欲望に引きづられて、、、、

2022年07月28日 07時33分22秒 | コラム 


大阪水曜ほっと集談会一世です。

皆様には何の興味もないお話である。

何卒ご容赦いただきたい。

今日、私は還暦を迎えた。

定年のおまけ付きである。

グリコのおまけに胸をときめかせた少年時代を過ごした私である。

転職による2ヶ月のブランクと初期のコロナ禍の1ヶ月の業務待機期間を除き、38年間雪の日も、台風の日も毎日勤務してきた。

その間転勤は5回を数え、その中には12年間の単身赴任生活も含まれる。

さて世間では60回目の誕生日を還暦と言うらしい。

何の社会的地位も肩書もない私であるが生きているだけでこのような称号?をいただけるとは有り難い。

そのうえ森田博士からもこのような祝辞をいただいたので披露したい。

〇神経質は物に執着する性質であります。

〇一度何かの目的を定め、あるいは一つの職業につくと、それに執着し、未練があって、色々目的を変えたり、職業を転々したりすることが少ないようです。

〇私どもは自分が神経質の素質を持って生まれたということを心から感謝すべきでありましょう。

ところで人は還暦を機に「生まれたときと同じ暦に還る(赤ちゃんに還る)」らしい。

そうか自分は、リセットされてもう一度赤ちゃんからスタートするのか?

ちなみに、赤いちゃんちゃんこを着るのは魔よけの意味があるらしい。

若くなるのはうれしいが、しかしあの森田療法に出会う前の苦しいとらわれの日々は二度と体験したくない!

しかしながら自分は、そこからとぼとぼと歩いて生きてきたのだ。

その事実だけは認めて自分を少しだけ褒めてやりたい。



2022.7.28 一世

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天邪鬼(あまのじゃく)と迷妄の時期

2022年07月26日 06時10分17秒 | コラム 

大阪水曜ほっと集談会一世です。

今日は運転免許の更新です。

ゴールド免許が自慢の私でしたが、昨年のスピード超過による減点で厳しい講習が待っています。

それが発見会のオンラインミーティングに間に合うように帰宅を急いだ結果によるもので笑ってしまいます。(泣)

さて先日京都の西本願寺を訪れたとき、天邪鬼を見つけました。

厳つい顔をしていますが、何か可愛いのです。

早速天邪鬼について、調べてみました。

わざと人に逆らうような言動をする人や、その様子を指す言葉です。

簡単にいうとひねくれ者ですね。

 民間説話に出てくる悪い鬼で物まねがうまく、他人の心を探るのに長じるとされています。

ところで、森田療法と天邪鬼になんの関係があるのか?

これが大いに関係が有るのです。

とらわれの渦中の神経質者は、人の言葉に.耳を傾ける余裕も素直さもなく、医師の診断さえも疑いひたすらやりくりを繰り返します。

元々理屈で物事を捉える傾向があり理知的な混乱を生じやすいのです。

素直に恥ずかしがったり、不安をそのままにしておけばやがて流れていく感情を小賢しい理屈で早急に取り去ろうとする。

結果皆様もご存知の通り地獄の苦しみを味わうことになります。

地獄に行ったことがないので憶測です。

皆様、恥ずかしいという感情は人間の感情の中でも、とても高度な感情なのです。

聞いとるか?

関西の度厚かましい、おっさん!

失礼しました。

私のことですね。

さて、森田博士はこのように理屈に凝り固まった机上論を展開する若い患者をお使い根性とか悪智と呼び手厳しく指導されていたようです。

オンラインミーティングさえなければと言い訳する私は、森田博士の言われたヒネクレの見本です。





2022.7.26 天邪鬼一世


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神経質を伸ばす!

2022年07月25日 06時33分45秒 | コラム 

大阪水曜ほっと集談会一世です。

今日は給料日です。😀 

年々下がっていく給与と自己内省に危機感を持っている私です。😰 

ところで最近そのままのあなたですべてよし―私の森田人間学―をあらためて読み返している私です。

その中に仕方なしの生活神経質を伸ばすというテーマの記述があった。

ああ、そうなのか!

さすがY先生、深い洞察であると思った。

神経質は変えるものでも、克服するものでもない、伸ばすもの!

妙に心にストーンと落ちた感じがしました。

元々自己内省が働き、簡単にあきらめない粘り強い資質である。

とらわれの最中には、自分にばかり注意が向き、他者に対する思いやりや場の空気を読めないことがある。

更に高じると軋轢や摩擦を生み被害妄想や自己中心の塊になりがちである。

しかしひとたび注意の対象が症状やとらわれから外界や他者に向けられるときめ細やかな心配りや気配りができる性格である。

対人接客を基本としたサービス業の私は、この性格がとんでもない武器であった事にようやく気付かされた。

取り越し苦労かくあるべしにより苦しみでしかなかった40年近いサラリーマン生活、本当に仕方なしのどうしようもない日々の連続であった。

しかし結果として、自分にとって最高の仕事を選んだといえるかもしれない。

そう言えばかつてY先生に「良い仕事ですね」と言われたことをふと思い出した私です。

その時はそう思えなかったけれど今は素直にうれしいと感じる一世です。



2022.7.25 一世



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発見会での関わりは淡きこと水のごとし!

2022年07月24日 07時07分53秒 | コラム 


大阪水曜ほっと集談会一世です。

最近オンラインの恩恵で全国の発見会の仲間と話す機会が増えた。

本音で集談会の現状、問題、幹事の悩みが時には赤裸々に語られることもある。

良い傾向である。

自分ではよいと思って発言したことが、初心者の若い世代の会員には、上からの押し付けと捉えられることもある。

結果傾聴、傾聴と何のコメントもしないという発想になる方もあるが、少し違うと思う。

そうではないと思う。

アプローチの仕方を少し変えるだけで同じコメントでも、受け取り方が変わる。

人は自分の事は、自分でわからないものである。

自己紹介後に他者からもらう小さなコメントはとても大切である。

それが無ければスパイスの効かないカレーのようで物足りない。

そこで注意したいのは、自分より若い世代から学ぼうとする謙虚な姿勢である。

更に言えば応援していますよというシンプルなメッセージは必要であると思う。

関西オンライン初心者懇談会を正式に開設して1年、受け入れをオンラインで始めたのが2年前である。

特に若い世代の初心者と言われる人たちは、60代~70代の発見会の中心を担う世代よりもある意味で情報量が多い。

SNSを通じて他の自助グループにも参加して、横のつながりを深めている。

にも拘らず初めて参加した集談会で旧態依然の行き過ぎたアドバイスを受ければ、所謂引いてしまう。

何でもかんでも森田理論で解決しようとすることには無理がある。

そもそも森田博士は森田療法はすべての精神疾患に対して万能であるとは言っていない。

精神科医や心理カウンセラーとの関係性の隙間を埋める、同じ苦しみを経験した仲間と触れ合いたいという率直な期待を裏切ってはいけない。

家族でも、友人でも、職場の人間でもない私たちである。

距離を取りながらさりげなく、若者の気づきをサポートするような淡い水のような関係性が今求められているのではないか!

若者の心のラインオーバをしないように自戒したいと思う私です。



2022.7.24 一世





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もう一度だけ兄貴と呼んで欲しかった。

2022年07月23日 08時54分00秒 | コラム 


大阪水曜ほっと集談会一世です。

もうすぐお盆がやってくる。

東京では、7月15日だったと聞いている。

関西は8月14日~16日をお盆と呼んでいる。

迎え火で故人を迎え、送り火で故人を送る。

私は必ずお盆はお寺にお参りしている。

ちなみに天国のことを仏教では、浄土というらしい。

浄土とは、一切の煩悩やけがれを離れ、仏や菩薩が住む清浄な国のことらしい。

5年前に病から突然別れた弟もその浄土とやらに住んでいるのであろうか。

彼が帰ってくるのであれば、毎日お盆であればよい。

これは個人ブログではない。

ブライベートなことは極力控えたいと思う。

しかしながら自分の日常を語らずして私の森田はない。

人様のことをどうのこうの言える立場でも器でもない。

そう思い敢えて機微な事にも触れてきた。

誇れるような人生ではないが、生活の発見会(森田療法)との出会いの無い人生は考えられない私にとって、プライベートを少しだけ晒しながら私なりの森田を語る。

かつてパニックで混乱の最中、真夜中に私の苦しみを黙って聴いてくれた弟。

兄貴どうしたんや?

彼の声を聴くだけで気持ちが落ち着いた。

お盆が来るたびに、穏やかで優しかった彼の声が時折聞こえて来るような気がする。

私の幻聴であろうか?

森田博士の「自覚と悟りへの道」には、戦争でたった一人の弟さんを亡くされた記述がある。

私の手で1人前の医者にし、仲よくやってゆきたいと思っていたので、ひどく力を落としたのであります。

その後、10年ぐらいは弟が死んだということを、どうもはっきり考えることができないのです。

ひょっとしたら捕虜にでもなっていて、ひょっこり帰って来るのではないか、と奇跡をあこがれるというふうであります。

同じ年ごろの兵隊を見るたびに、そういうことを考えました。

生老病死の問題に向き合わない理論を切り取った森田には何の関心もない私です。

ふと発見会の若い会員を応援したい気持ちは弟と重なるからかもしれないと思った。

私の森田は極めて人間的な、ありふれた生活の中にある森田です。

薄給の私に弟がくれた高級ブランデーは今も封を切らずにそのままである。

もう一度だけ、もう一度だけ兄貴と呼んで欲しかった。



2022.7.23 一世



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