「大阪水曜ほっと集談会」公式ブログ

9月17日(火)20時~・9月18日14時~(ZOOM)にてリモート集談会を開催します

一食700円のランチを食べながら考えた

2021年02月28日 06時34分34秒 | コラム 

大阪水曜ほっと集談会一世です。

梅の花が凛として美しい季節ですね。

話は飛びますが、私はNHKの番組でサラメシが大好きです。

働く人のランチがテーマの番組ですが、地域や職場でそれぞれ特徴があり個性的で面白いですね。

さて一席7万円の会食とはどんな内容だろうかと、700円のお昼のサービスランチを食べながら考えました。

エライ違いじゃ!

ふと上級国民という言葉が浮かびました。

このような豪勢なおもてなしを受ければ、そりゃ人間勘違いもするやろ!

一般社会では、格差は確実にあります。

では、私たちの自助グループには格差はないのでしょうか?

上級会員なんてことは、絶対にないですよね?

本来同じように会費を納めているのですから、同じように学ぶ機会が与えられ、自由に意見が言えるはずですよね。

もしそうでないのなら大問題です。

発見会の活動指針5条には、会員は相互に平等であると明記されています。

会員数が減少傾向にある中で今、集談会もサラメシのような多様性が求められている気がします。

コロナ禍で社会の仕組みや人々の認識が変わりました。

不安を感じている人は確実に増えています。

発見会も今までの仕組みを見直し、問題は問題としてオープンにして今まで以上に安心と信頼をベースに柔軟に取り組めば必ず会員数も増加に転じると確信します。

皆さん前向きな提案や意見をどんどん私たちの大阪水曜ほっと集談会ホームページにお寄せください。


2021・2・28 一世

 


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善意の危うさ

2021年02月27日 23時04分59秒 | コラム 

 

大阪水曜ほっと集談会一世です。

今日のあるニュースでハッとさせられました。

駅員さんが乳児を乗せたままベビーカーを階段から移動させようとして不幸にも赤ちゃんが大ケガをしてしまったのです。

善意からの行為が取り返しのつかない大きな事故につながりました。

原因はマニュアルに書いてある乳児を乗せないで、ベビーカーだけを移動させる事を忘れていたと言うのです。

防ぐことが出来た事故だけに、辛い気持ちになりました。

私たちの日常でもそのようなことは、起こり得るのです。

さて発見会でも、ボランティアと称して個人相談を受けたり日記指導をするケースがあります。

しかし、医師でも心理カウンセラーでもない私たちが、服薬を否定したり鬱やパニックで休職中の初心者の方に職場復帰を促したりすることは、絶対に許されません。

全てを理論で問題解決をしようとすることは、危険です。

お金をいただいている、いただいていないと言う問題ではないのです。

中途半端な善意がお互いの不幸を生まないために、発見会の指針に基づき集談会でルールをしっかり設けて判断が難しいケースは、誠意を尽くして断る。

または専門医や臨床心理士に委ねる。

それが出来ないのであれば、最初から相談を受けない。

鬱などによる過労死や過労自殺を生み出すブラック企業に勤務されている場合などは、法律に基づき弁護士や社会保険労務士への相談を勧める。

ハラスメントに関する勉強会や研修を自主的に行うことも大切かと思われます。

このことは、何度言っても言いすぎることはないと思います。

私は、かつて大学を卒業して就職後2年目に息子さんを長時間労働による過労から突然亡くされたご両親のお話を直接伺ったことがありました。

その無念さ、行き場のない怒りは、想像するだけでも辛いものでした。

無防備な善意、情緒をベースとしたボランティアは時として、ひどく人間関係を傷つけるものではないでしょうか?

私たちのすばらしい活動が、誤解と偏見を生むことがないように情報を共有し助け合いながら運営できたらと日々切に願う一世です。


2021・2・27 一世

 


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余計なお世話じゃ!

2021年02月26日 05時00分19秒 | コラム 

 

大阪水曜ほっと集談会一世です。

時々集談会で、私は森田療法で完全に治ったとか悟ったというオジサンに出会う。

私の言うことを聞けばあなたも救われると。

思わずあんたは森田先生か?

と突っ込みたくなる。

共通しているのは、自己内省力の衰退と想像力の欠如である。

元気になられたのは結構だが、私は声を大にして言いたい。

余計なお世話じゃ。

それはあなたの人生の成功体験であって私の人生ではない。

私は本質的な意味で、人は人を救う事などできないと思っている。

自助グループ活動に於いて自分にできることの限界を知っておくことは、大切ではないだろうか?

誤解しないでいただきたいが、集談会での森田の学びと寄り添いや優しい言葉で立ち直り、元気になられる方が有るのは事実である。

私もその一人である。

しかし誰かが救ってくれるというのは幻想である。

自己紹介や体験談を聴く中で、自分で自分に気付き自分が変わろうと思うかどうかである。

また腑に落ちる時期、タイミングもある。

森田先生は、啐啄同時(そったくどうじ)と表現されている。

元々禅語(仏教用語)である。

※師と教えを受ける学び人との呼吸がぴったり合う事。

※卵から孵化しようとする雛と親鳥が卵を突くタイミングが同時であることの例えから用いられる。

どんなに愛する人に恵まれようと、私たちは一人で生まれ一人で死んでいく存在である。

自分の人生は自分で引き受けるしかないのだ。

私が私を救うのだ。

他は是れ我にあらず!


2021・2・26 一世

 

 


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自分を表現しよう。

2021年02月25日 08時45分04秒 | コラム 

内向型人間は、文芸、書道、詩歌、俳諧、陶芸、絵画、楽器演奏、

何でもよいから芸術の力を借りて自己表現をせよ!

「本多信一氏・現代職業研究所所長・自分に無理をしない生き方より」


大阪水曜ほっと集談会一世です。

このブログで自分の思いを表現することで日々生きることが、少し楽になった。

逆にお読みいただいている皆様には、ストレスかもしれないが。(笑)

まあ、ご容赦ください。

さて、集談会で時々芸術家に出会う。

一般社会ではなかなか出会えないピュアな感性の持ち主が集談会には来られる。

音楽家や画家、デザイナー、文芸家など多様である。

私は神経質イコール内向型とは思わない。

不安タイプなど外向的な方も多い。

共通しているのは誠実で個性的であるがゆえに世間基準に当てはめようとして深く傷つき、落ち込まれた印象である。

神経質者は自己内省が働き努力家で、自分の内面を掘り下げて考えられる才能の持ち主であると思う。

その感性を趣味でもよいので素人芸術や自然を対象に表現しよう!

承認欲求を組織や人に求めれば、裏切られたり、否定されたりすることも多いだろう。

よりよく生きたいと願う私たちは、理想と現実の間で常に思想の矛盾に苦しめられてきた。

誠実なだけでは、生きにくい世の中であることは承知している。

それでも敢えて申し上げたい。

目先の事にとらわれず、愚鈍なまでに誠実であろうじゃないか!


2020・2・25 一世


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命の輝き

2021年02月24日 20時22分48秒 | コラム 

善悪、苦楽、生死、様々な対局するものの狭間で、振り子のように揺れながら、スイングしながら、一時いっときの命を輝かせながら生きていきたい。

「五木寛之氏・作家・大河の一滴より」


 

大阪水曜ほっと集談会一世です。

先日3年前に逝った弟の夢をみた。

一緒に酒を飲もうとおつまみが用意できたぞと声をかけたとたん彼が突然いなくなり目が覚めた。

一瞬夢と現実の区別がつかず、放心状態であった。

4歳下の弟は、誰からも愛される心優しき存在だった。

私がパニックで苦しんでいた時、真夜中にも拘らず私の話を黙って聴いてくれた。

私は彼に兄として一体何をしてやれたというのか?

神々の愛でにし人は、夭折すという言葉がある。

彼は50年の人生を精いっぱい生き、命を輝かせながら娑婆世界を卒業した。

出来の悪い私は、まだまだ現世での修行が必要だと思われているようだ。

私は何も望みはしない。

もう一度、もう一度、ただ弟と親父と三人で美味しい酒が飲みたかった。

私は、微力ながらこれからの人生を、出来る限り神経質症状で悩み苦しむ人々の声に耳を傾けることに時間を使いたいと思う。

かつて私の弟が、私にそうしてくれたように。


2021・2・24 一世

 


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