友人のカメラやさん

2018-09-19 14:25:58 | 日々思うこと

小学生の時近所に1歳上の男の子がいて時々遊んだ。写真屋の子だった。

彼がどこの中学校へ行ったかは知らない。そのころはもう遊んでいなかった。

高校に入って学校で偶然姿を見たとき、お互いに友人もいたので目礼して

すれ違った。

後に里帰りした時、彼のカメらやさんが「イオン」に出店したり

スーパーにお店を構えていると聞いて「成功して商売繁盛しているのだな」

とうれしく思っていた。

 

こちらに越してきてパスポートの書き換えが必要になっった時、

彼のお店を訪ねた。その時、彼の写真集を見せられて遠慮するわたくしに

立派な写真集3冊を押し付けられた。

変にまとわりつくような、粘っこいというかねちねちした話し方をする

嫌な大人になっていた。這う這うの体で逃げ出してしまった。

彼が癌にかかっているという噂を聞いたのはそれからしばらくしてからだった。

ところがある夕方我が家の近くのコンビニで偶然出会ってしまった。

実家の近くにコンビニがないので買いに来たということであったが、

やはり粘っこい話し方で話しかけてきた。

彼の息子が秋山庄太郎氏に師事していて仲人もしてもらったと誇らしげであった。

まずは後継者ができたのだと幼友達の幸せそうな顔を見てよかったなと

思って別れた。

わたくしが彼を見たのはそれが最後である。

最近跡を継いだ彼の息子が警察に捕まったという話を聞いた。

イオンからもスーパーからももうかなり前に撤退していて自宅で

細々と営業しているらしかった。

お客から預かったカメラを他人に売った容疑で。

弟も具合の悪くなったミノルタのカメラを持って行ったらもう直らないので

預かると言い、その後付属品が残っていたらそれも欲しいと言ったそうだ。

結局返ってこなかったと言っていた。そういうことを何件もして捕まったと

いうことであった。

弟はそのカメラ屋に車庫を貸していたが、何年分も未払いで踏み倒されたらしい。

それくらいの被害はまぁ大したことがないというので聞いてみるとこの

カメラやは借地に建っていて、息子の家まで増築しているので2棟が

今はもぬけの殻になっていて(家族全部いなくなった)、地主がとても

困っているらしい。

時代の流れでデジカメ全盛の今、カメラやへ現像を頼みに行く人は少なくなった。

また、カメラも大きなお店で買うので小さな小売りの店は立ち行かなく

なったのだと思う。

彼と息子は時代に乗り遅れた。商売は難しい。

今もなお、大きな富士フイルムの看板が聳えるお店は残っている。

コメント (4)
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