浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

肉体の限度にいどみ人救う
愛の行い我が内の神

「講演集」より。

2014-05-12 01:05:17 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

       ~ 恩師のご著書「愚か者の独り言」より ~


           講演集 一


          「風船玉と砂袋」


その中にあって、その方、その方の心の状態、行いの状態、
言葉の状態によって、風船玉のようにポカポカと浮かんで、
現れた世界の上側についているのですね。
反対に現れた世界の下側に砂を詰めた砂袋のようにして、
ぶら下りながら生きている人もあります。
上の人もこの物質と化した肉体の生命によって
上にも行かず下にも落ちず、この世を旅しているのです。

では、心の軽い風船のような方はどのような方かと言いますと、
常に心が安らかで人の幸せを願い、人の幸せの為に自分から奉仕する人、
人に喜びを与える方であって、こういう方は心が非常に軽いです。
また感激に満たされている方であって、現実にこういう方はおられますね。
心が軽いから皆、上の方に浮かんでいます。
その反対に、砂袋をぶら下げたようにぶら下がっている人はどういう人かと言いますと、
心の中に一杯「苦しみ」を詰めた人です。
砂の粒の材料は何かと言いますと、まず怒りです。
怒りの心は砂となって心の錘となります。
怒り、妬み、謗り、相手を悪く言ったり、恨んだり、憎んだり、愚痴を言ったり、
要らぬ取り越し苦労をしたり、不安や恐怖にとらわれたり、それと嘘をつく人ですね。
また人のものを盗んだら心は苦しいです。

足ることを忘れた欲望、こんな思いを心に持ったり行いによって行じておりますと、
心が重くてたまらないです。
そんな思いは重く下にぶら下がりっております。
命の糸が切れますと、軽い人はすうっと上にあがりますし、
重い人は命が切れた瞬間に落ちて行きます。
仏教で閻魔さんが裁判をして悪い事をした人を地獄に落とすのだと言いますが、
あれは閻魔さんが裁くのではなくて、自分が自分の心の重さの世界へ、
軽さの世界へと自分で落ちたり昇ったりしていくのです。
簡単なことですね。
火の車を造る大工さんはありません。
「火の車に乗ったら熱いし苦しいですから、そんなものを大工さんは造りません。
誰が造っているかと言うと、他ならぬ自分が造って自分が乗って行くのです。
地獄へ行くのも極楽へ行くのも自分が行くべくして行っているのです。


           ~ 感謝・合掌 ~





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