浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

八正道と作善止悪

「講演集」より。

2015-08-02 01:50:41 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

            恩師のご著書「講演集」より


                講演、四


          「水」が教えてくれる自然の法則


バケツ一杯の水を汲んできて拭き掃除をしますと、
自ら汚れを吸収して他を清めていきます。
雑巾をかけますと、自ら汚れや埃を吸い取って清めてくれます。
私たちも、自分を犠牲にしてでも、他の汚れである苦しみを吸い取ってあげる
ぐらいの愛が必要ですね。

そのバケツの中の水は、雑巾をすすぎますと、ドロドロになりますが、
そのようになっても、水の本質は忘れておりません。
前栽の植木に、水をかけてやりますと、水は低きに流れます。
汚い木の枝や葉やゴミはどうぞ上にあがって下さい、
私は下を通らせてもらいますと、すべてを持ち上げて、自らは低くなります。
私たちも水にならって、自らを低く他を持ち上げて生きることですね。

普通、私たちは、人よりも少し優れていたり、
ちょっとでも変わったところを持っておりますと、
「ああ、私はこんなことができる、私は偉いのだ」と思って、
自らを高く評価します。
自ら高くなった時、他はその人を引きずり下ろそうとします。
必ず周りは下ろしにかかります。

そして自ら低くなった時、他はその人を持ち上げようとするのが自然の法則です。
水は低きに流れても、蒸発しますと、何ものよりも高く上に昇ります。
日々の生活を常に低く低く生きることです。
これは、自然が教えてくれています。
「私は偉いのだ」と、自ら偉ぶっている人は、ほんとうは偉くないのですね。
実るほど頭の垂れる稲穂かな
この句を、私たちは幼い頃から嫌というほど聞かされています。
稲穂は実るほど頭を垂れてきます。

しかし、頭を垂れない穂もあるのです。
それは、まだ実らない間に、雀が米の汁をみな吸ってしまった穂で、
全部突っ立っております。
人間も同じことで、「自分は偉いのだ」と言って、反り返っている人は、
魂の中が吸い取られて空っぽになっていると思えばいいのですね。
自分で自分を偉いという人がいたら、「へえ、偉いんですなあ、お宅は偉いんですなあ」と、
繰り返し褒めてやりましたら、しまいにはもう偉そうにしなくなります。
相手が「自分は偉い」と言った時、「そんなことはない」と言うと、
喧嘩になりますから、偉ぶる人には、こちらも「偉い、偉い」と褒めてやると、
偉ぶるのを止めてしまいます。


             ~ 感謝・合掌 ~



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