恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より
第五章 心の曇りをとるための反省
前世の親子が今生で嫁姑となる
また、こんな話もあります。
今度は世間によくある嫁と姑との確執ですが、
この二人の縁が実は今生だけではなくて、
過去世にまでさかのぼるような因縁浅からぬものであったのです。
反省すると言っても、本人が覚えていない前世のことまで思いだすのは、
たいへん難しいことですが、それでもそういう場合があることを知って、
何事も謙虚に自己を顧みることは大切なことです。
身に覚えがないと言ったところで、どんな貸し借りや、自らに課した誓いや
約束事があるとも知れません。
この話しを、
或る時に当方に見えた嫁姑の争いで心を苦しめている方にさせてもらいました。
その方は嫁の立場でした。
私はそれが問題解決のために思い変えをする際のいいヒントになると思ったのです。
話というのはこうです。
嫁と姑が仲がよくないために、苦悩をかかえるお嫁さんがいました。
お母さんがお嫁さんとぶつかる原因というのは、一人息子がかわいいあまりに、
といういわば母親のエゴなのでした。
これはありがちなケースです。
もちろん、お嫁さんにしてみれば、いやなお姑さんということになります。
しかし、本当のことがわかった時に、このお嫁さんのお姑さんが嫌いという
気持ちは雲散霧消してしまいました。
というのは、
苦しんで苦しんで苦しみ抜いた時、ふと前世のことを思い出したそうなのです。
この二人は前世においてなんと実の母と娘だったのです。
それも娘さんのほうは非常なお母さん子でして、お母さんが好きで好きでしょうがなく、
一生、いっしょに暮らしたかったのです。
ところが、いよいよお嫁に行く時になりました。
どうしても母と別れて暮らさなくてはなりません。
この娘さんは今度生まれ変わったならば一生お母さんの面倒を見たいという思いを残して、
後ろ髪を引かれる思いでお母さんと別れて、嫁ぎ先に行かなくてはなりませんでした。
一生、お母さんといっしょに暮らしたいという、その執拗なまでの愛が、
今生でまた再びこの深い因縁で結ばれた二人がめぐり逢うという形で現れたと
いうわけです。
それも、此の度は親子ではなくて、嫁と姑という間柄でのめぐり逢いでした。
しかも、憎しみ合う嫁姑としてです。
~ 感謝・合掌 ~