~ 恩師の御著書「真理を求める愚か者の独り言」より ~
第一章 或る愚か者の生涯
◆父母の後ろ姿から学んだ奉仕と布施の実践◆
太平洋戦争末期の食糧難の時代、
私の故郷にも都会から食べ物を求めて買い出しに来る
人々がたくさんおられました。
着物とか貴重品を持ってきて、お米や芋などの食糧に換えるのです。
いわば物々交換です。
私の母は、そういう人々がやって来ると、お腹を空かせているだろうと、
お粥を大きな鍋に炊いて、
「ちょっと入って食べておくんなはれ。ちょっと入って食べておくんなはれ」と
見ず知らずの人に呼びかけて家に入れ、お腹いっぱいに食べてもらっていました。
こういう施しは仏教では布施といわれています。
もちろん、私の母は特にそんな言葉を意識していたのではありませんが。
私の田舎は葡萄の産地でした。
収穫の時期ともなりますと、畑で摘み取った葡萄をリヤカーに積み、
遠回りをして山道を運んできます。
しかし、母は別の近道をして山をこえて一人歩いて帰ります。
肩には葡萄の入った篭をかついでいます。
母は道の途中で行き交う人に「食べておくんなはれ」と言いつつ、
どんどんあげてしまいますので、家にたどりつく頃には、
篭の中は空っぽになっているのです。
これが母の楽しみだったようです。
私の母の母、つまり祖母になると、さらにこの布施の精神は徹底していました。
「乞食さん」と当時呼んでいたのですが、その乞食さんが家の門口に来たら、
家族が食べる分としてお釜で炊いておいたご飯も野菜をいれて大鍋で煮たおかずも、
「まあ食べていきなさい。好きなだけ食べなさい」と、大きな釜と鍋ごと与えていました。
乞食さんが食べ終わるまで、家族は待っていました。
「もう腹いっぱいになりましたか」と祖母は乞食さんに聞いて、
それから家族は残った分を食べていました。
今の世の中ではなかなか聞けそうもない話です。
ホームレスの方々はだいたい一所にかたまって生活しておられるでしょうし、
一軒一軒物乞いをして歩く乞食さんの姿も今日では見られません。
ましてやそういう人に施しをされる方もおられないでしょう。
~ 感謝・合掌 ~