浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

八正道と作善止悪

「御垂訓」

2017-10-24 23:43:17 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

     恩師の御著書「真理を求める愚か者の独り言」より


             第一章 或る愚か者の生涯

      ◆高橋信次先生との邂逅と天職を見出すまで◆

昭和四十五年に不思議な出来事が起こりました。
近所におばあちゃんがいまして、
レントゲンをとると膝の骨がグチャグチャになってしまっていたのですが、
私が手を当てると完全に治ってしまったのです。
レントゲンを撮るともとどおりになっているのがわかりました。
それがきっかけとなって、治してもらったという情報が口コミで広がり、
治療をしてもらいたいという人々が集まってくるようになりました。
そして、不思議な運命の糸に操られるかのように、人生が変わっていきました。
しかし、これも高橋信次先生という方を知ることなしには
考えられないことだったのではないかと思います。
人生を変えることになったのは、一つは「足ることを知りなさい」という教えです。
それからもう一つは「無償の愛」ということです。

昭和四十九年十一月に高橋信次先生の講演をはじめて聴きました。
しかし、直接お会いして先生から指導を受けることはついにありませんでした。
ただ、演壇に立ってお話されるのを群衆の一人として拝聴したのみでした。
高橋先生の伝えられる正法にふれて、
まず「足ることを知る」ということの大切さを改めて知りました。
講演の中で聴いたこの言葉は、自分に向かって言われているような気がしました。
ちょうど商売を少しでも大きくしようとか、もっと儲けようとかして、この世の現実と
四つに取り組んでいる頃でした。
事業を拡大しようとすれば、借り入れが増えます。
すると銀行はいい顔をしない。
手形を割ってもらおうと思って銀行に行くと、考えておきますと言われ、
こちらはどうしても期限内に手形を落とせないと困るから頭を下げて頼みこみます。
もう朝から晩まで寝ていても頭の中ではお金の算段ばかりで、
心の休まる暇はありませんでした。
商売というのは下手だから倒れるのであって、
倒れないためにはあらゆる頭を使わなくてはなりません。
お金を動かすのはたいへんだとつくづく思います。
その当時は自分の工場で稼働している織機は三台でして、ほかに三十台分は外注に出して、
毛布の製造を下請けしてもらっていました。

ふつうなら毛布を造り、製品として袋に詰めて問屋に入れなくてはなりません。
しかし、運よく毛布丹前を主として生産していました。
外注に出した製品は起毛屋が集めてくれ、
それをミシン屋が仕立ててから問屋に入れるので、私の手はかかりません。
いくら多く生産しても私は何もしなくていいのです。
私がすることと言えば、支払い、糸の手配、糸の仕入れ、
そして問屋から集金するということのみです。
ところで、足ることを知りなさいという言葉に出会ってから、
外注の三十台分の製造を止めました。
すると、お金が余ってきてしようがなくなりました。
取引の規模を今までの十分の一にまで縮小したのですから、
十倍の在庫と原材料があり、仕入れの必要もなくなりました。
その結果、銀行に借りなくてすむようになり、資金もたっぷりになり、
銀行からは上得意と見られるようになっていました。
足ることを知ればこんなに楽だったかということがわかりました。
それから、昭和五十一年一月に高橋信次先生がお亡くなりになるまでの
一年八カ月というものは、月に一度ですが、
欠かさず講演を拝聴しにまいりました。


           ~ 感謝・合掌 ~



※ 本日は恩師「長尾弘」先生のご命日でございます。
   2007年10月25日ご逝去

  当ブログは2008年11月11日に開設してより本日現在2017年10月25日までの
  期間中に当ブログへ訪問して頂きましたトータル数と閲覧頂きました回数を
  以下のようにご報告申し上げます。

  ◆トータル訪問者数:234,770 一日平均72名
  ◆トータル閲覧回数:761,494 一日平均232回

期間中にインターネットなどの不調和により投稿出来ない時もあり当ブログへ訪問して頂いて
いる皆様にはたいへんご迷惑をおかけしましたことも度々ありましたが、上記のように
たくさんの方に訪問して頂き、又、閲覧して頂いておりますことを心より深く感謝申し上げます。
天上の世界で恩師長尾弘先生も大変喜んで下さっていることと思います。
今後とも宜しくお願い申し上げます。





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