浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

肉体の限度にいどみ人救う
愛の行い我が内の神

「御垂訓」

2017-10-19 23:49:16 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

        恩師の御著書「真理を求める愚か者の独り言」より


              第一章 或る愚か者の生涯

               ◆念力から祈りへの転換◆

先の続き・・・

十歳の時には太平洋戦争が始まりますが、
兄が出征兵として戦地に赴いてからというもの、
兄の無事の帰還を祈願するため、
両親の代参として一キロほど離れた山のお宮さんに日参するようになりました。
雨が降っても雪が降っても、
山の中腹にあるお社にお参りすることを欠かした日は一日もありませんでした。
そうして、六年の歳月が流れ、ついに兄は無事に中支から帰還いたしました。
やっとそれが成就した喜びで足が地につかず、
天にも昇ったような気持ちでした。
ありがたさに身を置く所もないほど嬉しかったものです。
六年間毎日一生懸命に兄の無事を祈りながら、
自分と兄とは一体だと感じていました。

ところが、無事帰還した兄は自分が運がよかったんだと、
六年間の祈りなどすべて知らなかったために、
なんとも言えぬ淋しさを味わったものです。
結局、幼い六年の経験を通じて私が学んだことは、
「祈りは人のため」という一事でした。
つまり、相手が喜んでも喜ばなくても、ただその人のために祈るということです。
愛の祈りであれば、神様に聞いていただけます。
我が事に関して祈れば、そこに必ず自我の欲望が入ってくるスキが生じます。
そして、いつしか祈りというよりも念力でもって
願望を成就させようということになりかねません。
しかし、大切なのは神様の御心を自分の生活に
現わしていくということでなくてはなりません。

これは現在でも私の神癒の根底に生きていると思います。
でなければ、奇蹟的な治癒が起きるわけがありません。
神は真の祈りに感応して力をお与えになるからです。
念力で願望を成就しても、決して幸せにはなれません。
愛のまごころとは、すべてを神様に託していくという、
神の子としての素直さということにもつながります。
祈りが純粋なほど、自我がなく無私であるほど、
天の神様は聞き届けてくださいます。
みんなが念力を使って自分の思いどおりになどしようとしたら、
この社会は念力合戦みたいなことになり、不調和になってしまいます。
やはり、自分を忘れて他を活かすという精神こそが美しく、尊いまことの祈り、
真祈りに通じるものだと言えましょう。
己を忘れて他を利する。
これが神の御心だと思います。


               ~ 感謝・合掌 ~



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「御垂訓」

2017-10-19 00:07:21 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

     恩師の御著書「真理を求める愚か者の独り言」より


          第一章 或る愚か者の生涯

          ◆念力から祈りへの転換◆

ある夏の日に村の中の道を、
金魚売りのおじさんがタライを下げた天秤棒をかついて歩いていました。
「金魚ぉ――え、金魚っ」と、調子よく声をあげながら、ゆっくり歩いています。
それを後ろから眺めていた私の悪戯(いたずら)心がムクムクと夏雲のように湧いて
きました。
私は面白半分に自分の思いであのおじさんを動かせないものかと実験を試みる気になりました。
「よし、ひとつぼくの力であのおじさんの進む方向を変えてやろう」と、私は念をこらしました。
最初は真直ぐに歩いていた金魚売りのおじさんも、私がその後ろから歩きながら「右右右」
と思うと、だんだん右斜めに歩むようになり、「次は左左左」と思うと、左へ歩き、
右に行ったり左に行ったりし始めました。

これは面白いぞ、と私はさらに念の集中を続けながら、歩行の乱れを見守りました。
すると、だんだんと左右の往復は穏やかなカーブからきつい曲線を描き、
ついには振り子のように直線的に道幅と同じく左右に行ったり来たりするようになっています。
それなのに本人はまったく気付いていません。
私はその光景を見てなんとなく満足し、愉快でもありました。
考えてみれば恐ろしいことです。
明らかに私の心は間違った方向に行こうとする一歩手前でした。
人の心、人の念は恐ろしい力を持っているということを幼い頃から自然と教えられていたようです。

念力を使うと自分の心のエネルギーは減ってしまいます。
人の心の自由を奪い、肉体にまで影響します。
しかし、重要なのは人の心を動かすことは誰にも許されないということです。
それができるのは神様のみです。
基本的には人間の自由意思は神でさえも尊重しておられます。
以後、こういうことはしてはならないと、
自分の力を誤まった心で用いないことを自分自身に堅く誓いました。
それから、あることがきっかけとなり、
真剣な祈りというものを捧げることになっていきました。


         ~ 感謝・合掌 ~



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