恩師の御著書「真理を求める愚か者の独り言」より
第一章 或る愚か者の生涯
◆催眠術をかけて遊ぶ◆
先の続き・・・
両親は信仰心の厚い人だったからでしょうか、
その頃から畑に連れていかれると、私は田圃の土で仏様をこしらえて拝んでいました。
まだ幼くて遊び仲間との交わりもなく、親との関係だけだった三歳の頃のことです。
それから、それよりもすこし後になった四歳の頃でしょうか、畑に行くと子供の仕事と
して雑草取りなどを言われるままにやっていましたが、なかにはできない所もあります。
そうした時には、畑で遊びます。
たとえば、自分の気に入った枝を決め、飛んでいる蝶々とか蜻蛉などに「ここに止まれ!」
と心の中で命ずると、指定した木の枝に止まってくれるのです。
また、「東へ飛んで行け!」「西のほうへ行け!」と言うと、やはり言うことを聞いて、
そのとおりにしてくれます。
小鳥、蜻蛉、蝶々となんでも私の思いどおりに動いてくれました。
ちょうど、心曇っていない幼少期のことです。
先までフワフワしたものがついている穂のような草を、
その先の部分と茎だけを残して、あとはしごいてしまい、
それでカエルを釣っていたことも思い出します。
ギジ餌のようなものですが、
草の先にとびついて引き上げられたカエルを手足を伸ばしたままのかっこうで
仰向けに寝かせますと、おとなしく寝てしまいます。
次々に釣ってきたカエルを何十匹も並べると、
今まで先に寝かせられていたカエルが起き上ってきますので、
またもとのように寝かせます。
こうしていると面白くて時のたつのを忘れて遊びに耽ったものです。
蟻なども「止まれ、止まれ」と念じていると、止まってしまって、
やがてコロンところげてしまいます。
川のほとりに行き、岩の上から呼んだら魚が寄ってくるということもありました。
小学校に入るまでの私は本当に清らかな仏のような心を持っていたと思います。
しかし、或る時、友達と遊んでいて竹藪の急斜面を登りますと、
眼前に見たこともない広大な畑が広がっています。
すると、私は「うちの畑けやでえ」とみんなに嘘をついていました。
もう所有欲とよいかっこうをしたいという思い芽生え始めていたのだと思います。
十歳を過ぎてからは、友達に催眠術をかけて遊ぶようになっていきます。
竹藪の日陰に友達を連れていって、
十人くらい一度に飛行機に乗った気分にさせたりしたものです。
六十歳近くになってから、父の法事の席で幼なじみと会った折に、あの時に飛行機に
乗せてもらって楽しかったことは今でも忘れられないみんな言っている、
と話していました。
この小学校高学年から、心の持つ力をはっきりと自覚するようになります。
蟻に「右に行け!左に行け!」というと、その通りに動いたり、いろいろなものを
思いで動かすことができました。
~ 感謝・合掌 ~