浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

八正道と作善止悪

「御垂訓」

2017-10-17 23:26:30 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

         恩師の御著書「真理を求める愚か者の独り言」より


                第一章 或る愚か者の生涯

               ◆催眠術をかけて遊ぶ◆

先の続き・・・

両親は信仰心の厚い人だったからでしょうか、
その頃から畑に連れていかれると、私は田圃の土で仏様をこしらえて拝んでいました。
まだ幼くて遊び仲間との交わりもなく、親との関係だけだった三歳の頃のことです。
それから、それよりもすこし後になった四歳の頃でしょうか、畑に行くと子供の仕事と
して雑草取りなどを言われるままにやっていましたが、なかにはできない所もあります。
そうした時には、畑で遊びます。
たとえば、自分の気に入った枝を決め、飛んでいる蝶々とか蜻蛉などに「ここに止まれ!」
と心の中で命ずると、指定した木の枝に止まってくれるのです。
また、「東へ飛んで行け!」「西のほうへ行け!」と言うと、やはり言うことを聞いて、
そのとおりにしてくれます。

小鳥、蜻蛉、蝶々となんでも私の思いどおりに動いてくれました。
ちょうど、心曇っていない幼少期のことです。
先までフワフワしたものがついている穂のような草を、
その先の部分と茎だけを残して、あとはしごいてしまい、
それでカエルを釣っていたことも思い出します。
ギジ餌のようなものですが、
草の先にとびついて引き上げられたカエルを手足を伸ばしたままのかっこうで
仰向けに寝かせますと、おとなしく寝てしまいます。
次々に釣ってきたカエルを何十匹も並べると、
今まで先に寝かせられていたカエルが起き上ってきますので、
またもとのように寝かせます。
こうしていると面白くて時のたつのを忘れて遊びに耽ったものです。
蟻なども「止まれ、止まれ」と念じていると、止まってしまって、
やがてコロンところげてしまいます。
川のほとりに行き、岩の上から呼んだら魚が寄ってくるということもありました。
小学校に入るまでの私は本当に清らかな仏のような心を持っていたと思います。

しかし、或る時、友達と遊んでいて竹藪の急斜面を登りますと、
眼前に見たこともない広大な畑が広がっています。
すると、私は「うちの畑けやでえ」とみんなに嘘をついていました。
もう所有欲とよいかっこうをしたいという思い芽生え始めていたのだと思います。
十歳を過ぎてからは、友達に催眠術をかけて遊ぶようになっていきます。
竹藪の日陰に友達を連れていって、
十人くらい一度に飛行機に乗った気分にさせたりしたものです。
六十歳近くになってから、父の法事の席で幼なじみと会った折に、あの時に飛行機に
乗せてもらって楽しかったことは今でも忘れられないみんな言っている、
と話していました。
この小学校高学年から、心の持つ力をはっきりと自覚するようになります。
蟻に「右に行け!左に行け!」というと、その通りに動いたり、いろいろなものを
思いで動かすことができました。


              ~ 感謝・合掌 ~



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「御垂訓」

2017-10-17 00:05:37 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

      恩師の御著書「真理を求める愚か者の独り言」より


          第一章 或る愚か者の生涯

          ◆催眠術をかけて遊ぶ◆

私は昭和六年に大阪と奈良の県境に位置する
南河内郡(現在は柏原市)国分町に生まれました。
大和川の上流で河内嵐山と呼ぶくらい風光明媚なところであり、
頼山陽ゆかりの歴史ある土地柄でもあります。
農家に生まれ、男の兄弟が四人、女の姉妹が四人おりました。
十一歳上の長姉、十歳上の長兄、それから二人の姉をはさみ、
私は五番目、その下には弟二人、いちばん末が妹でした。
昔は、子供がよちよち歩きができるようになるまで成長すると、
どこへ行くかわからず危ないので、
倒れないように底の四方に足がついている木製の箱に子供は
入れられていました。
箱の外には小さなおやつ入れのやはり箱状の入れ物が付けられています。
この子守り箱の中に私も誕生一年前後には入れられて遊ばされていました。

母が用事をしている間は、
ときどきここに置き去りにされて泣いてしまうこともありました。
兄弟はみんなこの箱の中で大きくなったのでした。
これが最初の記憶です。
その次の記憶の糸をたぐると、こんな光景が脳裏浮かびます。
二つ年下の弟が母の背中におんぶされ、
私は母の温かな大きな手に引かれています。
父が畑仕事から帰る夕刻になると、
私の家から五~六00メートルほど離れた山のお宮さんの下の
竹藪がおおいかぶさって昼なお暗い道を歩いて父を迎えに行くのです。
もうあたりは薄闇が降りている時分です。
その怖い道を、「お父ちゃん、帰っといで。
山のケンケンなっこるで」と何度も繰り返し
歌を口ずさみながら、母は私たちを連れて父を迎えに行くのです。
ケンケンとは狐のことです。
「お父さん早く帰ってきてください。
もう山の狐が鳴きますよ」という意味です。
よちよち歩きの頃です。


        ~ 感謝・合掌 ~


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