浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

うぬぼれと像上慢は
魔の餌食 我も気付かず
人も気付かず

「御垂訓」

2017-10-12 23:57:04 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

      恩師の御著書「真理を求める愚か者の独り言」より


            第一章 或る愚か者の生涯

                ◆親孝行ができたと思うこと◆

先の続き・・・

         四六時中 休むことなし 我が行は
                 父との誓い有ればこそなり

この歌について、「父との誓いというのはなんですか?」と
質問される方がよくあります。
しかし、この父というのは肉体の父ではなく、霊の父、つまり神様のことです。
私たちはこの肉体を世に出してくださる父と母なしには、この世に生まれ出ることも、
この世で活躍することもできません。
確かに父母は最大の恩人ではあります。
しかし、その父母にとってもやはり親があり、その親の親にとっても親があり、
と限りなくさかのぼっていきますと、結局最後はすべてを創造された神様にたどりつきます。
そして、今日一日、空気や太陽や水の恵みを与えて私たちの命を
維持させていただいているのも神様のお陰以外の何ものでもありません。

そうしてみると、やはり誰にとっても共通の親は神様ですし、
人類全体のたった一つの親もこの神様ということになります。
人類はさまざまな人種や民族や国家に分かれて今でも戦争や紛争を起こしていますが、
この神様のもとでは人類はまったく一つです。
今の状態に対して、神様は嘆いておれれることでしょう。
だから、宇宙の運行や自然の法則とも一つになるために、
また親子兄弟、社会、国家、地球が一つに調和して仲良く助け合って生きていくためにも、
神の御心に沿った生活ができればいいのです。
それがいちばんの親孝行にもなっていきます。
世間の尺度だけではあまりに型にはまった生き方になりがちです。
そこからはみ出せば、親不孝というレッテルを貼られてしまい、
本人も悩むことが多いでしょうが、本来は天地自然が多様な働きを示しているごとく、
その人その人の個性に合った生き方、
各人の天命にかなった生き方が世間常識とはまた別にあるはずです。

それを見出すためにも心の反省をしながら、神様の御心にかなう真実の生き方を模索して
いきたいと思います。
人から教えてもらうのではなく、誰にも肩代わりのできない自分の人生を自らの力で
切り開いていく以外に道はありません。
親孝行の話をするつもりがずいぶんと話が広がってしまいました。
しかし、親は私たちにとっては最も大切な存在であり、
中国にも古くから「孝は百行の本」という、親孝行はすべての善なる行いの
基本であるという意味の諺もあり、これも必然としなくてはなりません。


            ~ 感謝・合掌 ~



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「御垂訓」

2017-10-12 01:36:03 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

      恩師の御著書「真理を求める愚か者の独り言」より


           第一章、 或る愚か者の生涯

          ◆親孝行ができたと思うこと◆

先の続き・・・

いい学校に入り、豊かな暮らしをするために子供の頃から塾に行かされ、
親子の対話、
家庭での躾等についてはほとんど熱心ではないのが昨日今日の社会の有り様です。
そこで、親孝行というとせいぜいいい学校に入るとか、
いいところに勤めてお金持ちになったり、出世したりして、
親にいい思いをさせてあげるくらいしか思いつかないのも無理からぬことです。
しかし、本来の親孝行とは親のエゴを満たすことでも、
自分の欲のままに生きて何かこの世で成功することだけでもありません。
そうではなく、正しい生き方を貫いた時に、人のためになり、
同時に世の中のためになるように生かせていただくことが一番の親孝行です。
せっかく生んでも、その子が悪いことをして世間に迷惑をかけたならば、
親は子を生まなければよかったと思います。
また、いくら偉いお役人になっても、有名になっても、
その末路が哀れだったらどうでしょう。
悪いことがばれてしまったり、自殺したり、人に殺されたりなどしたら、
それまでの地位や名誉もなんにもなりません。

もちろん、本人がいくらエリートとして成功しても、また商売が繁盛しても、
心の中に不満や寂しさを抱えて悶々としていたとしたら、その顔を見て親は、
「この子はこの頃ちっとも幸せそうではないな」と、
子供の頃の元気で屈託のない顔がまなこの裏に焼き付いているだけに、
余計に寂しいことと思います。
先ず、心を正しく生きて自らが心の底から幸せになること、
本当にうれしそうな笑顔を親にも見せられるようになることです。
もちろん、物心両面においてですが、
そうなるために私たちは神の御心にかなった生き方をしなくてはならないと思います。
地位がなくとも、そんなにお金がなくても、子が幸せそうなら、
親は生んでよかったと思います。
それが真の親孝行だと思います。
ところで、心が幸せであるとは他人の幸せも喜べるような、
また人や世の中のためにもなれるような心になっていることです。
心に陰りがあってはなりなせん。
太陽のように明るい心になるためには心にお荷物や未解決の問題があってはなれません。
なんの波風も立たない人生ではなく、
困難な問題が来ても、いつも乗り切っていけるだけの自信が持てることです。
その自信とは、やはりいつも神様と共に道を歩んでいるのだという
確信から来ると思います。


             ~ 感謝・合掌 ~



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