恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より
第三章 天上界への道
◆神を知りたければあの太陽を見なさい◆
先の続き・・・
人はその過去を反省した時、大小の差はあれ、
罪過ちを犯していない人は誰一人ありません。
太陽の熱、光(神の慈愛)からバチを当てられた人は一人もありません。
もし、太陽の熱光(神の慈愛)からバチを当てられたなら、
人間存在がなりたちません。
こんな話があります。
何十年も夫の浮気を赦せずに、徹底して夫への冷酷さを貫きながら、
自らの心を苦しめていた婦人に、
「赦させていただきなさい」とアドバイスさせてもらいますと、
その方はそれを実行し、ようやく心の地獄から救われました。
人間は自分に不都合なことをされれば、
相手に怒りや憎しみの思いを抱いてしまうものです。
しかし、どんな場合でも、相手を赦すことは自分のためです。
だから、「赦してやる」のではなく、「赦させていただく」という意識になれば、
もっと楽に赦せます。
「してあげる」「してやる」より、
「させていただく」のほうが神の御心に近づける喜びがあります。
「赦させていただく」という心も、「責め裁かない(無条件の赦し)」という神の御心を
実践させてもらうということにほかなりません。
死ぬ時になって、この世に生かされている間「私はよくやった」と、自らにねぎらいの
言葉をかけることができ、満足と感謝の心を味わえてこそ、
死ぬということの意味も豊かになってくるのです。
そのためにはどうしたらよいかというと、あの太陽の心を我が心にいただき、
日々の生活の中で太陽の心を行うことであります。
他の為に尽くすといっても、まず自分の生活の基盤をしっかりさせなくてはなりません。
人の家の前に立ち、お茶碗に食べ物を恵んでくださいというのは、
昔の日本でもありましたが、現在の日本では通りません。
現在、有難い事に土曜と日曜にお休みの方もありますし、
日曜だけお休みの方もあります。
その時間に、どれだけ無償の善き行いが積めるか、愛を施せるか、
それによって心の中は、「ああ、よかったなあ、
あれだけの人が喜んでくださった。
これだけの方が救われた」という喜びに満たされます。
その喜びは神様からいただいたものです。
お金や物とは違う、心の安らぎです。
又、日々の生活の中でも同じことです。
私も寝るいとまもなくハードスケジュールで飛び回っている時、
「先生、無理せんといてください」と、よく言われますが、
「自分の命を精一杯燃え上がらせて、燃え尽きたい」と答えます。
自らの命を人様のために燃え尽きさせた時、満ち足りてあの世へ帰れます。
「私は自分の命を燃焼させてもらっています」と、話します。
神様は言われます。
「私の思いをあなたたちがその肉体をもって具現しなさい。
この地上に示し現わしなさい」と、
神様の御心を理解させていただくのに最も身近でわかりやすい方法は、
常に太陽の心を理解させていただくことです。
神を知りなさいと言ってもお姿も見えず、声も聞こえませんから、
自らの行いとして神様の御心を現わすことです。
太陽の姿を実践しなさい。
太陽の心(神の御心)
① 自己犠牲
② 他を生かす
③ 無差別、平等の愛
④ 他の過ちを責め裁かない
⑤ 無条件の赦し
⑥ 無償の愛
この太陽の心、神の御心が私たちの心の内なる世界に燦々と輝いています。
私はこの心の内なる太陽の心を日々の生活の中に実践する努力をしています。
また、世のあらゆる宗教の在り方と太陽の姿を照らし合わせた時、
神にそむいた宗教がいかに多いかがよくわかります。
~ 感謝・合掌 ~