浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

偉大なる光の王に導かれ
我が身は動き口は語らん

「御垂訓」

2017-11-11 23:44:45 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

     恩師の御著書「真理を求める愚か者の独り言」より


      第二章 必要なのは正しい生命観の確立


        ◆命のふるさとと光の量の区域◆

先の続き・・・

なぜ、この現象界が修業に適しているかというと、
ただ厳しい荒波の世界であるからというだけではなく、
別に重大な理由があります。
生まれる以前の素晴らしい世界には、
それぞれの魂の浄(きよ)まり具合に応じた光の量の区域があります。
百ワットの人は同じ百ワットの人だけが集まり住む区域に、
また五十ワットなら五十ワットの人々同士が集まり住む区域に住んでいます。
つまり、同じ心のレベルの者同士が一つの区域に集まっています。
そうすると、魂の修行にとって不都合なことが生じてきます。
魂の次元の同等なもの同士が出会っても、
他を見て己れの至らなさに気づかされたり、
お手本を見させてもらったり、
逆にあのようになってはならないと見せられたりすることがありません。
つまり、他人と自分との違いから学ぶということができません。

光の量の区域という実在界の法則から、
異なる魂のレベルが同居する現象界に心が移行することで、
いかに魂の次元の高い方も次元の低い方も、同じ肉体に宿りますから、
今度は様々な光の段階の人と出会い、
そこで起きる出来事を通して効果的に学んでいくことができます。
魂の速い進歩のためには、
この苦労の多い「苦海」とお釈迦様が言われる現象界に
生かしていただけることはとても幸せなことです。
魂の次元の高い方を見て、次元の低い方は、
「あのように生きなくては」と学ばせていただき、
また低い方の言動を見て、
「あのように生きてはいけない」と学んでいきます。

実在界と現象界との大きな違いは現象界がいかに
教育的な環境であるかということです。
姿形だけみれば、個人差はそれほどないようですが、
心は「あの世」のものです。
それが「この世」の五官を備えた肉体の中に宿ることにより、
自己保存や自我我欲などの「業」の思いを生み出し、
もともとの愛や平安の心を忘れてしまいます。
ところが、自らつくり出してしまった悩みや苦しみ、
「この世」の災難、苦労や困難などを経験することによって、
心の誤りを反省させられ、軌道修正することで成長を遂げつつ、
再び魂のふるさとにいた時の平和な安らぎの心を思い出し、
より次元の高い心へと導かれ成長させられます。


        ~ 感謝・合掌 ~




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「御垂訓」

2017-11-11 00:12:10 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

     恩師の御著書「真理を求める愚か者の独り言」より


     第二章 必要なのは正しい生命観の確立

     ◆魂の修行という生命の目的を知ること◆

先の続き・・・

私たちは人間として生まれる以前は
調和と安らぎに満たされた世界におりました。
今私たちが住んでいる次元とは異なる世界です。
こちらが本当にある世界、実在界です。
私たちにはあるよう思える空間や距離や時間さえも、
実在界(あの世)には存在しません。
そこから、私たちはこの仮の世界、
地球上の一時だけの物質化された現象界に厳しい魂の
修行のために出て来ています。
実在界から現象界を見ると、
それはそれは粗悪な危険極まりない修行の場所です。
一歩踏み外せば断崖絶壁から転げ落ちる、
あるいは深い深い泥沼にはまるかもしれない。
又、あの蟻地獄そのものです。

それほどこの現象界とは危ない所です。
誰しもが幸福な人生というものを望みます。
自らの欠点を直さなくてもいいのだと言われる方でも、
自分が不幸でもいいとおっしゃる方はおられません。
それは、調和した光あふれる「魂のふるさと」において味わった幸福感、
至福の芳香というものが、記憶の底に残っているからにほかなりません。
望郷の思いであり、郷愁、ノスタルジアの思いです。
再びかつての幸福感を体験するには、
この現象界の様々な困難や危険や誘惑に負けることなく、
それらをのりこえて、自らの心の奥深くへと探求していかねばなりません。
そのための悪癖の修正とも言えます。

私たちは食べるために働き、生活のために汲々としたり、
時には間違ったことも認めなくてはならなかったり、
人の嫌な面や自分の汚らわしい部分にも直面させられたりと、
肉体を持つかぎり不自由きわまりない人生を強いられています。
しかし、人間はただ食べて寝て働いて、適当に遊んで、
肉体の終わりとともに一生を終えるだけの存在ではありません。
なんのために命をいただき、この地上に出て来ているのか。
それは少しでも魂を進化させ、向上させるためだったはずです。

もちろん、その結果としてこの世の生活が充実し、
幸せも健康も自分のものにできるものでなくてはいけません。
その上で魂のふるさとにいつの日か帰り着き、神様と、
そして魂の兄弟たちとの約束を果たしてまいりましたという
安らかな喜びをお伝えすることです。
そのためにも毎日を心豊かに過ごせるよう、
反省と善き行いの努力をすべきです
一休和尚に次のような道歌があります。
「世の中は喰うてくそして寝て起きてさてその後は死ぬるばかりか」
物質だけを追い求めて生きると、どれほど地位、名誉、財産を得ても、
このような一生になります。


        ~ 感謝・合掌 ~



当ブログを開設(2008-11-11)から本日(2017-11-11)で丁度9年になりました。
この期間中に当ブログへ訪問して頂きましたたくさんの皆様に心より
深く感謝申しあげます。
訪問者数と閲覧回数を下記のようにご報告申し上げます。
(インターネットやパソコン等の不具合により投稿できなかった日数を
100日として計算)

  訪問者数 合計 236,772     一日平均  74名
  閲覧回数 合計 767,548     一日平均  241回

恩師(故)長尾弘先生も天上界でたくさんの皆様に当ブログへ訪問して頂き、
閲覧して頂いていることを大変喜んでおられることとご推察申し上げます。
ありがとうございました。
これから後も宜しくお願い申し上げます。



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