恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より
第四章 「思い変え」こそ幸せの扉を開ける鍵
◆幸せの扉を開ける鍵「観自在菩薩」の意味と「思い変え」の法◆
何事が起きてもわるく見る見方と、喜びに見る見方とがあります。
いちばんわかりやすく参考になるお話をします。
東大阪に明治の初期に生きた「結構の源ヤン」という方がいました。
何事があっても「ああ、結構やないか、結構やないか」とおっしゃって、
決して愚痴や不足不満を言われなかったということです。
或る年、毎日毎日雨が降り続きました。
当時、「土方殺すに刃物はいらぬ。雨の三日も降ればよい」と
言われたものでしたが、その頃は日雇い労働者の人は
三日も仕事がなければ食べていけない状態でした。
それが一か月から雨が降り続いたそうです。
そこで、源ヤンの友達が「いかな源ヤンでもこの雨にはまいったことだろう。
結構とはよう言わんやろうなあ。
何と言うか聞きに行こう」と言って、
源ヤンの家に出掛けていったそうです。
「ごめん、源ヤンおるか!」と奥に呼びかけると、
「ハーイ」という声とともに出てこられました。
「かなわんなあ、これだけ降ったら」と言いますと、
「ああ結構やないか」と言われたので、
友達があきれて、「何が結構やねん」と聞きますと、
「お前らよう考えてみ。これだけ降る雨を、
もし神さんが三十日間天で受けてくれはって、
一杯にたまったのを一片にまとめてぶちあけられたら、
家も田圃も皆流されてしまう。
ようこんなにうまいこと何日にも分けて降らしてくれたもんや。
神様は何と結構なお方や」と言って喜ばれたということです。
雨続きでもう食べてはいけない状態であっても、そのことを嘆く代わりに、
一度にためて降らしたらたいへんな被害になるのに、
うまいこと分けて降らしてくれるとは神様はありがたいなあと思いを
喜びのほうへと変えてしまうのです。
結構の源ヤンと呼ばれたこの方は、後に東大阪一の結構な人になられました。
大阪では有名な話です。
~ 感謝・合掌 ~