浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

自我越えて肉の己れを
捨し時 神と我とは
一つなる知る

「御垂訓」

2017-12-25 23:48:56 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

   恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


    第四章 「思い変え」こそ幸せの扉を開ける鍵


   ◆指をとられて自殺した方と腕をもがれて感謝した方◆

先の続き・・・

「へえ。あの目が潰れて泣いておられた方ですか」と、
びっくりして言いました。
すると、「本当に私は救われました。
地獄の底から極楽に救いあげていただくというのは、
こういうことかと思いました」と言われました。
そして、もう一つ付け加えられました。
「私は自分が本当に幸せであるということを忘れていました」と、
目が治ったから幸せになったのかというと、目はそのままです。
心を潰れた目に向けていたのを、
残った目のほうに向け換えてことで、
地獄から極楽へと境涯が変わったのです。

心の働きとはこのように実に不思議なものです。
不幸だ不幸だと思っていたのが、ちょっと見方を変えたら、
私はこんなに幸せだったんだなあということがわかりました。
心を切換えるだけで、不幸が幸せになるということです。
そのような方にはたくさん出会っております。
人の心は一念三千と言われ、
あらゆる思いの世界に通じることができますが、
その時その時においては一つのことしか思えないというのが
人間の心の法則です。
思いの矢印の向きは一つです。
私たちは、この法則に案外気付いていません。
「悲しみと喜び」「怒りと安らぎ」「恨みと赦し」など、
一瞬のうちにこれら二つを思うことはできません。


       ~ 感謝・合掌 ~


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「御垂訓」

2017-12-25 00:06:48 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

     恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


     第四章 「思い変え」こそ幸せの扉を開ける鍵

   ◆指をとられて自殺した方と腕をもがれて感謝した方◆

先の続き・・・

彼女にお話をさせていただきました。
「つらいのはよくわかります。私は両目が見えますから、
私にはあなたの悲しみがわからないとあなたは思うでしょう。
ただ、悲しい悲しいと毎日泣いて暮しているのも一つの現実です。
しかし、悲しい、悲しいと泣いていてもそれは何の役にも立たないはずです。
その女性はワイヤロープの製造工場に勤めていたのですが、
ワイヤの一本の針金の先の尖ったところが突き刺さって失明してしまったそうです。

全身の面積から考えても、よりによって目の瞳孔にワイヤの先が
突き刺さるという惨事はよほどわずかの確立で起きたとしか考えられず、
たいへん不運だったとも言えます。
また、次のようにお話させていただきました。
「あなたは失われた片目に心をとらわれています。
しかし、もう十センチも長いのが飛んできて両目をピシッとやられていれば、
今どころではないはずです。
両方見えなくなります。
そうなれば、どんなに不自由かわからない。
そこで、残ったほうの目に心を向け換えなさい。
これからつらい時があれば、
こうして片目を助けてくださいまして有難うございますという気持ちで
感謝に心を向けて下さい」

賢い方だったのでしょう。
よく理解してくださり、それから一週間ほど過ぎて、
にこにこ笑って本当に幸せそうな女性になって訪ねていらっしゃいました。
わたしはおつきあいは多いのですけれど、
一度お会いした方のお顔はよく覚えています。
あの時の腰はいかがですかとか、あの時こうおっしゃいましたね、
などと必ずお話ができます。
それなのに、その時ばかりは、どうしても相手が誰だったのかが思い出せず、
「初めてですか」とお聞きすると、恥ずかしそうに笑いながら、
「いや、このあいだまで泣いていましたから」とおっしゃるのです。
喜びに満たされて、お顔までまったくの別人になってしまっていたのでした。


            ~ 感謝・合掌 ~



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