恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より
第四章 「思い変え」こそ幸せの扉を開ける鍵
◆自分の心を苦しめては幸せになれない◆
先の続き・・・
たしかに人間は自由意志を与えられています。
しかし、心も肉体も神様から与えられており、
自分のものではありません。
神の子神我すなわちキリスト意識が、
肉体というサタンの装いをして現れているのが人間です。
なぜサタンなのかと言いますと、肉体の服をまとうことによって、
五感による煩悩である自己保存と自我我欲の思いを
満たすことのできる状態に置かれるからです。
ところが、この肉体の服というサタンの装いこそは、
内なる神我の目覚めにはどうしても必要なものなのです。
それは、ちょうど蓮の花が咲くのに泥が必要であるのと同じことです。
中身は神から分けられた清らかな魂であり、
まとっているのは欲の心へと誘惑する五官を
備えた肉体の衣であるというのは一見矛盾のようでありますが、
これがあるために魂は様々な過ちの経験を通して
だんだんと進化向上して立派になっていけるのです。
私たちの本来の曇りなき心は例外なく神様の意識の中にあります。
わかりやすい比喩を用いてみましょう。
金の延べ板の上の厚く積もった塵を払えば、
それまで覆われていた金の輝きが現れてきます。
すでに金は金として光っているものですが、
塵があまりにも厚く覆い隠していたため、
その輝きが見えなくなっていただけです。
これと同様、
私たちの心も自己保存や自我我欲などエゴの思いの雲が晴れたなら、
光そのものとして、愛と慈悲の塊としての心の本質が現れてきます。
ノミで木を彫るとおが屑が出て来ますが、
だんだんと中の立派な象が現れてくるようなものです。
~ 感謝・合掌 ~