恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より
第四章 「思い変え」こそ幸せの扉を開ける鍵
◆不浄なる肉の身があってこそ悟らせてもらえる◆
古来、肉体は不浄なるものを詰め込んだ皮袋にたとえられました。
目から目糞、耳から耳糞、鼻から鼻糞、歯から歯糞、皮膚から汗アカ、
下から大小の排泄物というふうに汚いものがこの皮袋に詰め込まれているのですが、
この不浄なる肉体があってこそ私たちは悟らせていただけます。
肉体を持ちながら、その肉体や五感にとらわれないということは、心がそれだけ
自由自在であり、泥に汚れることのないあの蓮の花と同じだと思います。
そうして、はじめて本当の神に近付けます。
つまり、自分を犠牲にし、燃え上がらせ、人様の喜びのために肉体を動かし、
しかも嫌いな人をつくらず、平等に愛する心です。
太陽のような意識です。
人間は肉体を持ち、五感があるために、どうしても自分に都合のわるい人を
嫌いになったり、都合のよくない状況から逃げたりするようになっています。
どうしても、時として自己保存や自我我欲の塊みたいにならないわけには
いかないことがあります。
自分を守ろうとするのは、五感の煩悩、自己保存、自我我欲の
本質からいってしかたのないことですが、これにとらわれた時、苦悩の中に陥ります。
しかし、この思いさえも実体が「無い」といわれているのが般若心経です。
~ 感謝・合掌 ~