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浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

得るものも失うものも無き我れに
何を恐れん我れ神の中

「御垂訓」

2017-12-07 23:52:13 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

       恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


           第四章 「思い変え」こそ幸せの扉を開ける鍵

          ◆人間は環境の中よりも思いの中で生きている◆

私たちはこの環境の中に肉体を持って生きていると思っています。
そして、幸不幸を左右するのも環境だと思っています。
私はこんな環境だから幸せになれないのだとか、
別の職場に移りさえすれば幸せになれる筈だとか言って、
私たちは何でも環境のせいにしたがります。
が、果たして本当にそうでしょうか。

この肉体が空気、水、太陽によって育まれ、雨露をしのぐ屋根の下に住んで、
家庭や職場といった人間関係を含む環境の中に生きているのは確かです。
では、空気がきれいで、水が良くて、気候も温暖で、十分な広さの家を持ち、
家族に囲まれ、生活の糧を得るための職場が与えられたら、
毎日は幸せと言えるのでしょうか。
誰が見てもうらやむような完璧な環境の中にあっても、
本人の心が満足していなければ幸せとは言えません。
ダイヤモンドやサファイアの輝きに燦然ときらめくたくさんの照明と、
大理石の床や金の壁や銀の柱で荘厳された御殿のような大邸宅に住み、
金銀財宝に埋もれて暮らしている人がいるとしましょう。

しかし、やれ床が冷たいだの光がまぶしすぎるのだと言って心に
不平不満をいだいたり、泥棒が入って財宝が奪われたりしないかという
不安や恐怖の思いを持っていたらどうでしょう。
その人の心は決して満足でも平安でもなく、
はたから見るほど幸せではないはずです。
一方、古い諺にある「竹の柱に茅の屋根、
筵を垂らして壁戸の代わり」というような粗末な家でも、
この竹の柱のお陰で屋根を支えてもらい、茅の屋根のお陰で雨露をしのぎ、
筵のあるお陰で風を防いでいただくと思えば、そこは天国です。
質素な生活をしていても、わずかな物で足りていることの幸せに
常に心が感謝に満ちていることでしょう。
すると、どんな環境の中にあっても、心の持ち方さえ感謝と喜びに向いていれば、
その人は幸せだということになります。

私たちは現在与えられている環境や境遇に対して、
それをそのまま有難く感謝して受け取ることがなかなか難しく、
何かにつけ不足な点を見つけては嘆いているものです。
感謝の理由を挙げるよりは、不満の理由を挙げるほうが得意です。
ところが、心の羅針盤が感謝のほうに向いていれば、朝起きて太陽を見ても、
顔を洗っても、ご飯をいただいても、お手洗いに入っても、道を歩いても、
常に有難いはずです。
反対に不満のほうに向いていれば、何を見ても、何をしてもつまらないでしょう。
人間関係も環境の一つです。
親切で温かい人々に囲まれ愛されていても、独り心に深刻な悩み事をかかえていれば、
決して幸せとは言えません。
周囲の人も他人も心の中に入って思いを変えるわけにはまいりません。
反対に厳しくつらいことの多い職場などの人間関係でも、
それを精神を鍛えるためのいい機会であると思えれば、
かえってそれらの人々の存在が貴重に思え、
そういう環境にも感謝できます。


              ~ 感謝・合掌 ~



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「御垂訓」

2017-12-07 01:28:42 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

      恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


                 第三章 天上界への道

            ◆人々の喜びが無限のエネルギー◆

どこへ行こうと神様といっしょであるということを実感していただきやすいように、
体験を書かせていただくことにします。
まず、神様は光であり愛であり、命でありエネルギーであります。
自分の心の状態が真に神様の御心と一つになっていくと、
これらをいただいて自分の内に感じさせていただけます。
私は常に全国を飛び回っております。
休ませていただくのは、だいだい夜中の二時、三時前後です。
最近では、一週間ほど皆さんと中国に行きまして、浄心庵に帰り着いた晩に、
地方まで帰られるのに一泊された方々と夜中まで習字を習い、
それから明け方まで一人で書いていたことがありました。
その日はまた午後から夜中までこの本を作るための打ち合わせがありました。

朝まで寝ないことも珍しくありません。
自分の身を、生命を燃え上がらせております。
燃え尽きてしまいたいと思っています。
燃え尽きたら、あの世に帰らせてもらえばいいのです。
精一杯この命を燃え上がらせて、その結果として一人でも多くの方から
「会えてよかった」と、喜んでいただけたら、使命は果たせたことになります。
命を賭けて法を実践させていただいております。
「命を捨てるものは命を得る」又、
「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあり」という言葉がありますが、
肉体の命は関係ありません。
だから、無限の命、無限のエネルギーが与えられます。
こんなことが人間としてできるのかと思うほど不思議なことを見せていただきます。
お招きいただきますと、どこへでも飛んでゆきます。
その時は、ただのご奉公、いっさいの報酬は求めません。

せめてその時間だけでも、神の子になりたいと思って、神の御心どおりに自分が行い、
そのように生活させていただいております。
求める心があると、得られないからと言って腹を立てることもありましょう。
しかし、どこへ行っても心安らかです。
癒しを求めて来られる方が何百人、何千人おられてもかまわない、
私の体が潰れるまでご奉仕いたします。
以前、東京に招いて頂いた時に、たくさんの方々に囲まれながら、汗だくになり、
もう帰らせていただく時間ぎりぎりまでお話をしました。
その後、色紙に字を書いてる間にズボンをはかせていただき、
シャツを頭から着せていただいて着替えをして、走って飛び出しました。
何処へ行かせて頂きましても、はじめての所ではお茶一杯、
タバコ一服吸わせていただく時間もありません。
肉体の限界にいどみ身はクタクタになりますが、心は喜びに満たされます。


              ~ 感謝・合掌 ~



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