浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

自我越えて肉の己れを
捨し時 神と我とは
一つなる知る

「御垂訓」

2017-12-26 23:51:13 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

     恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


       第四章 「思い変え」こそ幸せの扉を開ける鍵

     ◆指をとられて自殺した方と腕をもがれて感謝した方◆

先の続き・・・

しかし、この一つ一つしか思えない心の法則を逆にうまく利用すれば、
怒ることも不平を言うこともできなくなります。
それには感謝の心だけを常に思うといいのです。
熱光を恵んでくれている太陽に、酸素を供給してくれている空気に、
そして水、海、山、大地などの自然、それから動物、植物、鉱物などの食物、
自分自身の肉体と、感謝の対象は数限りなくあります。
この感謝に心を満たしている時は、私たちの苦しみの原因である想念感情、
すなわち怒り、恨み、憎しみ、愚痴、妬み、謗り、取越し苦労などの思いが
心に入ることはできません。
感謝は光ですから、その光の中で怒りでも愚痴でも消えてしまいます。

一日のうちでたとえ五分でも十分でも感謝の心を持つと、
その間に魔が入ってくることはできません。
感謝は心の魔から自分を守ってくれる鎧であり、
自分自身の喜びでもあります。
「ありがとうございます」と、素直に感謝できること自体が心の宝です。
一日の中で感謝する時間が長くなればなるほど、
その人は幸せな時間が長いことになります。
あらゆることに対し、できるだけ感謝忘れずにいると、
最後には一日のすべてが感謝に満たされるということになります。
そして、いっさいの苦しみなく、
安らぎの時だけがあるということになります。
これが幸せになる要領です。

苦しみに心を向けさせないために、無理やりにでもいいから、
感謝の対象を見つけて感謝することです。
そうするうちに、健康も家庭も仕事も商売もすべてよくなり、
喜びに満たされてきます。
もともと私たちの内に入っている神我は、
完全無欠の神そのものの性質を持っているのですから、
それがこの世の生活に反映されてくることになるのです。


            ~ 感謝・合掌 ~



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