浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

自我越えて肉の己れを
捨し時 神と我とは
一つなる知る

「御垂訓」

2017-12-14 23:33:10 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

    恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


         第四章 「思い変え」こそ幸せの扉を開ける鍵

   ◆神様は「健康になりなさい、幸せになりなさい」と願っておられる◆

先の続き・・・

ところが、実際には不幸も病気もあります。
それは何も神様が罰を当てたのでも、無慈悲なのでもありません。
単に人間の発する自己中心的な思いというのが、
ちょうど障害物が光を遮る結果として生まれる影のように、
不幸や病気を現わします。
その闇自身に実体はありません。
光が来れば闇は去ります。
自分の心を苦しめれば幸せになれません。
自分の心を苦しめることをできるだけ少なくし、
慈しみをもって自分の心を見つめることができるようになれば、
他人の心を苦しませることが少なくなります。

そしてさらには、他人の心を和ませ、喜ばせたくなってまいります。
だんだんと神様のお考えになっていることに近い思いに
心がなってくるからです。
互いに愛し合い、互いに相手のために仕えた時には、
神様の御心とピッタリ波長が合い、調和した心になってきます。
これは法則にかなっていますから、心が苦しむはずはありません。
たとえ一分前の過去でも、過去の過ちを赦さずに自分を責めていたら、
自分の心を痛めることになります。
過去にとらわれず、
今この瞬間にどんな思いの中にいるのかといることだけが問題です。
過去は二度と戻りません。

砂浜の砂にジュースをこぼしたら、砂にしみこんでしまい、
二度と同じジュースはコップに帰りません。
やがて砂の表面から跡かたもなく消えてしまいます。
過去のことで心を苦しめるのはつまらないことです。
また、まだ来ぬ未来を心配しても、
取越し苦労の思いの中にいることによって今が不幸になるだけです。
心配したからといって未来がよくなるわけでもありません。
実際のところは来てみなければどんなものかもわかりません。
また、肉体が病気なら不幸かというと、必ずしもそうではありません。
長い間病気を患っていても、人にいい感じを与える方もいらっしゃいます。
生まれつきかあるいは事故などで体の不自由な方でもそうです。
このあいだテレビでパラリンピックの模様が伝えられましたが、
身体に障害を持たれていながら、明るく強く生きて、
その姿勢がまた多くの人々に勇気や希望を与えているという
方々もいらっしゃいます。


            ~ 感謝・合掌 ~


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「御垂訓」

2017-12-14 00:32:44 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

     恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


        第四章 「思い変え」こそ幸せの扉を開ける鍵

   ◆神様は「健康になりなさい、幸せになりなさい」と願っておられる◆

「幸せになりなさい。健やかに生きなさい」というのが神様の御心です。
怒りや憎しみや愚痴や恨みや悲しみや貪欲などの想念を発することは、
その御心に反することです。
なぜならば、自ら発した思いが自らの心を曇らせるからあり、
神様の光を遮れば、それだけ闇をつくってしまい、
喜び少なく苦労が増えるからです。
自らが苦しむだけでなく、
心のスモッグを出すことで人様に対しても迷惑をかけます。
神様は光です。

つねに私たちに光を注がれていますから、
心に自己保存とか自我我欲の思いが少なければ少ないほど、
神様からの光は五感からくる煩悩の思いの層である想念帯の切れ間から
木漏れ日のように差し込んでくる量が多くなるのです。
そうすれば、幸せとなり健康となります。
この世である現象界とあの世の実在界を遮断しているのが想念帯ですが、
この遮断ベルトの層が薄い程、その切れ間を通して命の本源である
神様のほうからの光が表面の意識(知性・理性・本能・感情)に注がれます。

想念帯が薄くなり表面意識へ光が出るに従い、
その人のこの世の生活もよくなってきます。
そして、一人一人の人間が幸せで健康になるということこそが、
神様の望んでいらっしゃることです。
それがやがて社会に満ち、国に満ち、世界中に満ち、
地球全体に光が満ち溢れれば、この地上と神様の世界が光で一つにつながり、
すべての人々が差別なく幸せで健康な大調和した世界となります。


            ~ 感謝・合掌 ~


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