浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

日日に神の御胸に抱かれて
光の国に住める嬉しさ

「御垂訓」

2018-03-23 23:44:38 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

   恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


         第六章 人類滅亡を救う奇跡と癒しの秘密

        心の教えを正しく行うと証がついて回る

         病気の原因は自分の心にある

先の続き・・・

病気になったり、不幸・災難に見舞われたりすることになってはじめて、
今迄の自己の生き方や心掛けというものを検討することを
余儀なくされてくるわけです。
だから,病気とは反省の機会でもあるのです。
神様が与えてくれた機会です。
病気になった赤信号が出た時に、素直に自分の心を顧みて、
間違いが見つかったならば、すぐに反省をして、悔い改めることです。
そうすれば、神様もよく気付いてくれたとお喜びになられ、
もう病気という赤信号も必要なくなったわけですから、
病気は自然と癒え、今度は間違わないように行きなさいよということで、
ゴーサインすなわち青信号に変わって、
再び健康な日々の生活が取り戻せるのです。

しかし、できれば病気になどなりたくないでしょうし、
周囲の人々にも心配や苦労はかけたくないものです。
また、わざわざ倒産や一家離散や離婚や事故による怪我など
あらゆる逆境を材料として学ばせていただかなくても、
自らの心を反省することを日々怠らないという心掛けと
たゆまぬ努力によって、波風なく穏やかな人生航路を旅しながら、
喜びと感謝でいっぱいの幸福で健康な人生を歩めれば、
そのほうがいいに決まっています。
病気が癒されて喜ぶのは結構ですが、もしそれだけで満足して、
以前とほとんど変わらない心境で生活を再開するならば、
その人はなんら心の進歩に向かって努力することなしに、
いずれまた病気になれば、ただ病気が治りたい、
そして貧乏になれば、ただお金がほしいというだけで、
現世ご利益ばかりを求めていくことになります。
これではいけません。

偶然に健康であったり、病気になったり、富んだり、
貧しくなったりするのではありません。
原因結果の法則によって、そういう出来事が起きてくるのですから、
自分自身が原因をつくっていることを早く理解し、
自らの心の在り方を正すことで幸せを築き、
また自らの心の持ち方で健康にならなくてはなりません。
そうでないと、人間が例外なく神様の愛し子であり、
正しい法に従って生活していけば必ず幸せに健やかに生きられるのだという
真理は絵に描いた餅になってしまうからです。
そうでないのだということを体験で確かめられるかどうかは、
一人一人の実践にかかっているのです。
けっして、特別な力のある人に頼り続けていって、
救われるという都合のいいものではありません。
内在する神の永遠の生命は人間一人一人に本来与えられたものです。
このことを理解し実践するのが私たちの学びです。


          ~ 感謝・合掌 ~



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「御垂訓」

2018-03-23 00:00:18 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

    恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


        第六章 人類滅亡を救う奇跡と癒しの秘密

      心の教えを正しく行うと証がついて回る

病気の原因は自分の心にある

すべてのものごとは原因と結果によって成り立っています。
病気も例外ではありません。
なぜ、病気になるのか、各人がご自分の心の中を探れば明らかです。
怒り、妬み、恨み、愚痴、悲しみ、不平不満などの思いは、
みな不調和な思いです。
これが溜まると病気として現れることが多いようです。
毒素を体の外に排泄する時に起きるという見方もあります。
浄化作用という言い方もできます。
しかし、これはあくまで結果の面を強調した言い方です。
現象化してくる前の原因である心をよく見つめて、
常に誤りの修正を心がけましょう。

不調和な思いを調和した思いに変えていくのですが、
これをしないと、いくら一時的に病気を治してもらっても、
また違う身体の場所に別の症状として現れたり、
時間がたって再発するなどということになってきてしまいます。
根っ子が絶たれない限り、何度でも同じことになります。
業とか因縁とか言いますのは、こうした本人の心の誤った思い方の癖によって、
言葉や行いにより悪行を重ね、悪因縁をつくります。
このパターンに気付いて、これを軌道修正してはじめて、
わるいカルマから解放されるという形で消滅するものです。

人間に対して神が望んでいるのは、幸せで健やかに生きることですから、
怒りや妬みや恨みや愚痴や悲しみや不平不満などの思いは、
大調和した光そのものの神様の御心からほど遠い思いです。
いわば思いのスモッグとして、神様の光を遮る暗黒の思いです。
神様の光は生命の力そのものでもありますから、心がこうした不調和な思いに
覆われてしまい、神様から来る光が通らなくなると、肉体に病気として現れて
くることになります。
この心を改めるには、よほど反省深い方とか、信仰心に厚く、常に神仏の心に
照らした過ごし方をしているという方でない限りは、
なかなか自分から気付いて改めるというわけには行きにくいと思われます。


           ~ 感謝・合掌 ~





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