浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

有難や米一粒の一粒に
神の御命 我給わらん

「御垂訓」

2020-12-16 01:17:33 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
 恩師のご著書「講演集」より

             講演集、 三

             法の功徳


今この上をハンカチで覆ってしまうと、
この中に何が入っているのか分かりません。
しかし、覆ったものを払いのけて見ますと、
ああ本だったのだなと、忽ち分かります。
そして、「倒れたる者を起こすが如し」つまり、
倒れた者を起こせば、ああ起きたなと誰にでも分かります。
「暗い室に松明をかざすが如し」つまり法の功徳とは、
そのようなものであるということです。
即ち功徳があらわれるということです。

心の向け方をちょっとこちらから、あちらに移しただけで、
地獄から極楽の世界へ変わります。
日々の生活で、
心の向きをうまく変える訓練を絶えず心掛けておりますと、
苦しみが喜びとなります。
私は、
「私ほど苦しみの少ない人生を生きた人間は今日まで他に誰もいない」と、
自信を持っております。

喜びに満たされた人生だったと思います。
しかし、私の母に言わせますと、「お前ほどの苦労人は無い。
兄弟の中の出来事や、
人さまの苦しみに命がけで立ち向かっているお前ほどの
苦労人はいない」のだそうですが、
しかし私の心の中は喜びばかりです。
私は、自分で解決できるやらできないやら分からない、
いろいろなご相談を人さまから受けますが、
自分はたださせていただくのみです。

その方の幸せの為にたださせていただきますと、
その時、相手の方が幸せに変わってくれまして、
望む心なしにたださせていただくと、
喜びの結果が与えられます。
もちろん、難しい問題を解決するには、それなりの苦労もあります。
自分が精いっぱい立ち向かった時、
「ああ、良かったなあ、お陰様でこんなにうまいこといった、
お陰様で人さまをこんなに救わせてもらいました」と、
その喜びが与えられます。
それは、自分が行ったから与えられるのです。
自分のベストを尽くしてさせていただきますと、
その時、見えない世界から必ずご協力があります。


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