浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

八正道と作善止悪

「御垂訓」

2020-12-13 23:57:27 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
恩師のご著書「講演集」より

              講演集、 三

           「私は世界一の幸せ者」


私たちは、人との出会いによって起こる出来事で、運命が左右されます。
左右されるのは、その人が出来事をどう受け取るかによって、不幸になったり
幸せになったりするのです。
今日も、私の母の妹に当たる叔母さんが朝早くから来てくれました。
この人は、何でも「結構や」「私は世界一の幸せ者や、私ほど幸せな者はない」
と話しています。

幸せと言っても、普通の家庭ですから、心配事もありましょうし、悩みのある
場合もあると思いますが、それを良いほうに取って、
私は幸せや幸せやと言っています。
私の母が、「お前も苦労があるのに、私は世界一の幸せ者やなど言っていたら、
人に笑われるよ」と言っていました。
その人に与えられた環境とか、或いはその人の病気とかを見て評価するのは、
人の自由です。

しかし、人がどう思おうと、その苦しみの中にあっても、
その苦しみを良いほうへ、
喜びのほうへ思いを変えて、ああ、私は幸せだと喜んでいられるのは、
その人自身の心の問題です。
人が不幸だと言おうと、可哀そうだと言おうと、そんなことは関係ありません。
自分が感謝し、喜びに満たされていれば、自分自身の心は安らいでおります。
人の評価など関係ありません。

人生は思い変えの訓練が大事です。
今日は来ておりませんが、私の弟の悪口をちょっと言いましょう。
今は明るい性質ですが、この弟の小さい頃の渾名は「泣き虫」と言いまして、
もういつでも泣いていたのです。
その子が笑っても、顔は泣いており、泣筋が発達していました。
私はいつでも嬉しい顔をして笑っていますから、笑筋が発達しています。
困るのは、悲しみ事で挨拶に行く時ですね。

「ご愁傷さまでございます」とお悔やみを言っても、顔は笑っているから、
精一杯悲しい顔をしようと思っても、顔は笑っているのです。
いつも笑っていましたら、そんな顔になってしまうのです。


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「御垂訓」

2020-12-13 00:04:27 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

  恩師のご著書「講演集」より

             講演集、 三

        法事よりも生きた方の方が大事


私は、普段は乞食のような格好をしております。
今日はちょっといい格好をさせてもらっています。
ちょうど父の法事があって、その服を着たままでおります。
今日は私の亡くなった父の十三回忌でございます。
親戚縁者が集まっておりますが、私だけ朝お参りをして、
失礼させてもらってきました。

まあ、何と親不孝な奴だなあと、お父さんは思っているかもしれません。
しかし、死んだ者が大事か、生きた方のほうが大事か、
たとえ親であっても、
死んだ者の前で分からない経文を唱えるのを一緒に聞いて、
ご馳走を頂いて―――というのは、
亡くなった方でけのものですね。

一方、
これだけ大勢の生きた方々が今日の日を楽しみにして
遠い所から来て下さっており、私はこのほうが大事ですから、
「これで失礼させてもらいます。
あと、よろしくお願いします」と、お断りを言ってきました。
私たちは、生きた人さまの中で生きさせていただくのです。
私の親しくしていただいいた友達が去年亡くなりましたが、
そのお葬式がちょうどよそでのお話会と重なりました。

お通夜は行かせてもらいましたが、
お葬式には行くことができませんでした。
しかし、ほんとうのことを思うのであれば、
一人でも生きた方が救われてくれるほうがありがたいですね。
たとえそちらを犠牲にしても。
だから、その重さを計ってみて、重いほうへ行きます。


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