恩師の御著書「真理を求める愚か者の独り言」より
第一章 或る愚か者の生涯
◆父母の後ろ姿から学んだ奉仕と布施の実践◆
先の続き・・・
さんだらぼっちともいって米俵の両端に当てる丸いわらの蓋である桟俵の上に、
野菜や果物を供えて、薄い木札に長尾家先祖代々の文字を書いてみたま代とし、
蝋燭と線香を立てて、大念仏の門徒の用いる鉦をたたきながら、
家族そろって大和川までお送りします。
この融通念仏宗はもともと平安時代の永久五年(1117)に
良忍という方によって始められたものです。
華厳経・華経を第一とし、浄土三部経を第二のよりどころとするものだそうです。
一人往生すれば衆生往生するというのが宗旨です。
この融通というのは、「必要な物や金を都合する」という意味ですから、
融通念仏の意味も、
もし自分が念仏を唱えればそれが他人のためにもなり、
他人が唱えればそれが自分のためにもなるというように互いに
融通し合うことができるところから来ているようです。
円融念仏とか大念仏とも呼びます。
父母や祖母の布施の実践、奉仕の実践、自分のものと他人のものとの区別なく、
とにかくみんなにとって少しでも役に立つことを率先してやるという心も、
このあたりと相通するものがあると思います。