浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

八正道と作善止悪

「垂訓」

2023-08-18 23:57:46 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師の御著書「真理を求める愚か者の独り言」より


       第一章 或る愚か者の生涯

     ◆父母の後ろ姿から学んだ奉仕と布施の実践◆

しかし、母は別の近道をして山をこえて一人歩いて帰ります。
肩には葡萄の入った篭をかついでいます。
母は道の途中で行き交う人に「食べておくんなはれ」と言いつつ、
どんどんあげてしまいますので、家にたどりつく頃には、
篭の中は空っぽになっているのです。
これが母の楽しみだったようです。
私の母の母、つまり祖母になると、
さらにこの布施の精神は徹底していました。

「乞食さん」と当時呼んでいたのですが、
その乞食さんが家の門口に来たら、
家族が食べる分としてお釜で炊いておいた
ご飯も野菜をいれて大鍋で煮たおかずも、
「まあ食べていきなさい。好きなだけ食べなさい」と、
大きな釜と鍋ごと与えていました。
乞食さんが食べ終わるまで、家族は待っていました。
「もう腹いっぱいになりましたか」と祖母は乞食さんに聞いて、
それから家族は残った分を食べていました。
今の世の中ではなかなか聞けそうもない話です。
ホームレスの方々はだいたい一所に
かたまって生活しておられるでしょうし、
一軒一軒物乞いをして歩く乞食さんの姿も今日では見られません。
ましてやそういう人に施しをされる方もおられないでしょう。


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「垂訓」

2023-08-18 01:00:02 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師の御著書「真理を求める愚か者の独り言」より


    第一章 或る愚か者の生涯

◆父母の後ろ姿から学んだ奉仕と布施の実践◆

太平洋戦争末期の食糧難の時代、
私の故郷にも都会から食べ物を求めて買い出しに来る
人々がたくさんおられました。
着物とか貴重品を持ってきて、
お米や芋などの食糧に換えるのです。
いわば物々交換です。

私の母は、そういう人々がやって来ると、
お腹を空かせているだろうと、
お粥を大きな鍋に炊いて、
「ちょっと入って食べておくんなはれ。
ちょっと入って食べておくんなはれ」と
見ず知らずの人に呼びかけて家に入れ、
お腹いっぱいに食べてもらっていました。
こういう施しは仏教では布施といわれています。

もちろん、私の母は特にそんな言葉を
意識していたのではありませんが。
私の田舎は葡萄の産地でした。
収穫の時期ともなりますと、
畑で摘み取った葡萄をリヤカーに積み、
遠回りをして山道を運んできます。


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