~ 恩師の御著書「愚か者の独り言」より ~
講演集 一
「自分を殺す者への許しを乞うキリスト」
「ただ、させていただく」自分を犠牲にしてさせていただくことです。
「究極の愛」というのは自分を犠牲にし、
自らを滅して相手を生かすことです。
イエスはゴルゴダの丘で十字架に上げられました。
イエスの話をしますが、私はキリスト教ではありません。
磔にあって大きい釘を手と足に打たれてあの十字架に上げられ、
しかも下から槍で突き殺されるのです。残酷な死刑ですね。
生きているのに釘を打ち込んで突き殺そうとした時、
イエスはこのように祈られました・・・
神よ、どうぞこの者達を罰しないで下さい。この者達は、
ものの正しい意味を知らないで、今この過ちを犯しています。
この者達の罪を許して下さい。この者達を罰しないで下さい」。
こう言って息を引きとられたそうです。
自分を殺している者の罪を許し、罰を与えないで下さいと言うのです。
これこそ究極の愛です。
ですから二千年経っても尚イエスを慕う地球上の何分の一かの方々が
キリスト教を信仰しておられます。
あの人が私をいじめる、などと言うのは、
凡そ関係がない些細なことです。
いじめられようが殺されようが尽くすことです。
この時、苦しみはなくなっていきます。