~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~
講演 五
「六根あるがゆえに己が悟れば菩提と化すことを悟るべし」
先の続き・・・
二度と繰り返さないという修行法でしたら私たちは
自信を持って修行できます。
失敗しても当たり前、それを学びとして
次に繰り返さなければいいのですね。
「私はもう再び人の悪口を言いません」と言いながら、
言うはしから次々と悪口を言っている人があります。
これでは何もなりません。
間違いと気付けば「過ちを悔い改めるのに憚ることなかれ」で、
遠慮せず勇気をもって改めたらいいのです。
イエス様がおっしゃるように「悔い改めよ、汝の罪は許されん」です。
悔い改めたらもう罪は許されます。
しかし改め放しではいけません。
今度は良き償いをすることですね。
例えば、よその人をひどい目に会わせて、殴って泣かせます。
今度悔い改めましたと言って相手に謝らないでいると
「こら」と殴られます。
相手からド突いてもらうのが償いです。
ト突いてもらって「はい、有難うございました」と
言って受けるのが償いの行為です。
どんなことでも「ああ悪いことをした、私は悪い人間だ、悪い、悪い」と
言っておればだんだん悪い人間になって良くなりません。
反省して自分が嫌になってだんだん落ち込み、
反省すればするほど自分が嫌になるとよくおっしゃいますが、
それはその後の実践をしていないから苦しいのです。
ただ、自分は悪いというのは正しい反省ではありません。
反省をして償いのために善き行いをしますと、
「ああ人として生まれて良かった」という喜びが必ず与えられます。
反省をして自分の過ちに目覚め、
次に償いのために善き行いをした時に、人様が喜んで下さいます。
「ああ良かった、私は人と生まれて過ちを犯し、
そこで悔い改めることができて償いをさせてもらえて良かったなあ」
という喜びが頂けるはずですね。
頭で反省するだけで実践がありませんと、だんだん落ち込んでいきます。